Eno.383 ナルヒェン・ガレルトラル  思考を重ねる。 - トイランブル

 物事を掘り起こすのであれば、切っ掛けが重要である。
 切っ掛けを無くして、物事を掘り起こす事は出来ない。
 言葉一つ、其の中にある意味を調べるのであれば、自身のみで為す事は難しい。
 何故なら、自身のみでは、……其れしか無く、完結してしまうからである。
 自身は万能ですらなく、同時に万能を求めてはいない。
 万能なれば、傲慢にも成り得る。
 もし、人が万能なれば、あらゆる手段を用いて、全てを救済しようとする可能性があろう。

――傲慢が故に。

 人には感情や思考があり、人格がある。
 脳は必ずしも正常だとは限らない。

 そうして、錯覚の如く、全てが出来るならば、全てを救済するのであれば、全て出来ない事は出来るのだろうか?
 出来るのに出来ないのであれば、万能であるのに万能でない事を示してしまう事になり、矛盾が生じてしまう。
 万能が万能足るのであるならば、其処に世は必要無いだろうと私は思う。
 全てを完結出来るならば、万能が手を出す理由も無く、全て自己完結する。
 万能が万能たらしめるのであれば、他の存在は必要無いと言う事だ。
 万能が真に存在するのであれば、存在するだけにしておかなければならない。
 此れ自体は言葉は存在する様なものだ。

 我々は万能では無く、常に何かが欠けている。
 欠損を補う為に様々な方法を利用する。
 しなければ、儘為らないだろう。
 其れは、赤子が母の乳を必要とする様に当然の事だ。
 過程無くして、結果は無い。
 其れは成長と似た様なものである。
 成長の過程無く、人が青年に成る事は無い。
 過程無く、知識を得る事は出来ない。
 物事には、やはり過程が付き物なのだ。

 過程と過程が交差する事も在ろう。
 言葉を交わし、何かを掘り起こす作業である。
 そうして得たものが結果となる。

 道が違え共、また交差する事も在ろうし、無かろう。
 交差は切っ掛けに過ぎず、其の切っ掛けが重要である。








<< 戻る << 各種行動画面に戻る