Eno.108 日野森 玲  母の話 - ひみつの庭


「お母さんがね」


「ある日突然、いなくなったんです」



「いつも居てくれた彼女は、起きたらもうどこにもいなくて」


「呼んでも、泣いても、来てくれなくて」


「それがずっとさみしくて」


「かなしくて」


「どうして、と思って」


「その次に思ったことが」


「こわくなって、呼ぶのをやめてしまった」


「………………」


「愛という言葉も知らず」


「さみしいもかなしいも、言葉に出来ないほど、幼かった頃の話です」


「ずっと呼んでも、ずっと泣いても、」


「あの人は戻って来てくれはしなかった」


当然の話だった。死んでいたのだから。


「死んだという言葉は聞いたけれど、その頃は死がわからなかった」



「後になって」


「むずかしい言葉も解せるくらいになった頃」


「自殺したのだ、という言葉の意味を理解しました」


「私が女として生まれて」


「そして、その後に弟が生まれたからだと」


「聞きました」



「私は、彼女に」


「あいされていたと思う気がするのに」


「一人で死なせたんです」



「どうして、と思っています」


「あいしていたからなのか」


「それとも……」



「栓のない話だ」


「何処にも答えはなく」


「誰も判断が下せない」



「……殺せばよかったんだ」


「それで次を産めばよかった」


「それで済んだ話だ」


「私は、母を殺したくて生まれてきたんじゃない」


「殺してしまうくらいなら、殺せば良かったんだ」


「それで……私は……良かったのに」


「それで生きていてくれるなら、良かったのに」


「……とは」


「もう、言えなくなってしまった」


「生きていて得たものがあるから」


「もう、言えない話です」



「あの人が死んでしまうくらいなら、生まれない方が良かったとも」


「思わなくも、ないけれど」


「えぇ、そうです。あの人だけは私の味方だった」


「たった一人の」



「だからもう、要らないのです」


「誰も私の味方でいてほしくない」


「報いてあげられないし、殺してしまうのが怖いから」


「裏切ってしまうのが怖いから」


「……ぞっとする」



「口にした言葉を、心が裏切ってしまう事ほど」


「恐ろしいものはありませんよ」









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