Eno.243 ヘリオトロープの旅人 話していないこと 隠していたいこと - あざやかな花園
花壇から摘んできた花を食む。
かすかな苦味と蜜の甘み、そして身体に満ちる魔力が身体を巡り、腹の底からじわじわと全身に広がる飢餓と渇きがわずかに遠のいていく。
――けれど、完全に消えるにはまだ足りない。全身を蝕もうとするこの毒の勢いを完全に抑えるにはまだ足りない。
無駄だとわかっていながら自身の手の甲を噛み、リローヴィリャは過去に自身へ向けられた言葉を思い出した。
『――アルヴァハウル様は、お連れ様にこのことをお話しないのですか』
多くの冒険者からの信頼を集め、数多くの商品を取り扱う商会の一つ。
リローヴィリャが正体を隠して冒険者になるにあたって、もっとも力を貸してくれたその商会に属する少女は、カウンターに小瓶を置きながら静かな声でそう問いかけてきた。
夜が深まった宿屋の酒場。
相棒である少女が眠っていることを確認してから酒場に降りてきて、商会に属する彼女と『商談』をしていたリローヴィリャは、その問いに思わず瞬きをした。
多くの冒険者や利用客が集まっているこの場所は、深夜と呼べる時間であるにも関わらず賑やかで、声を潜めて口にした名前を聞き取れるのはすぐ隣に座るリローヴィリャぐらいしかいない。
隠している名前を口にした少女を見つめ、すぐに苦笑いへと表情を切り替えて、リローヴィリャは置かれた小瓶へと手を伸ばした。
「……失礼しました。以前、取引をしたときはアルヴァハウル様のお名前だったので」
言いながら、リローヴィリャは小瓶を酒場の照明にかざした。
美しい小瓶の中には赤黒い錠剤がいくらか入っており、揺らすとガラス製の壁とぶつかって涼やかな音を奏でる。
また小瓶をカウンターへと戻しながら、言葉を続ける。
「はい。同じパーティーを組んでいるようなので。
アルヴァハウル様……んん、サリスティラ様のお身体のことについて、話されないのか疑問に思いました」
いつまでも隠せるわけではないこと、おわかりでしょう?
言葉にはならなかったが込められた意味を理解し、リローヴィリャは困ったように眉尻を下げ、けれど口元には薄く笑みを浮かべた。
脳裏に浮かぶのは一緒に行動をするようになった、薄紅色をまとう少女の姿。
一人で自由を楽しむのとは異なる楽しみを教えてくれた、退屈を忘れさせてくれる少女。
彼女が浮かべる、花が咲いたようなあの笑顔を思い浮かべながら、そっと唇を開く。
まだ、話さない。
隣に座る彼女が言いたいこともわかる。いつまでも隠せるはずがない。
魔力が枯渇する瞬間なんて今後も何度も訪れる。今はさり気なく距離を取ったり言葉を並べ立てて意識を別のほうへ向けることで誤魔化している。
だが、聡明なあの子のことだ。そういつまでも誤魔化されてくれないだろう。
けれど、リローヴィリャは自分自身の『これ』を限界まで伏せて、隠すつもりでいる。
伏せて、隠して、彼女が見ていないところで対処して――人間のふりをするつもりでいる。
限界まで。どうしても隠しきれないと判断するまで。
――そうだ。リローヴィリャは普通の人間ではない。
魔力を消耗するごとに少しずつ強まる飢餓と渇き。
保有する魔力が枯渇した瞬間に強く現れる、人の血を必要とする衝動。
それはどれも普通の人間は持たない人外としての特徴で――きっと、何もせずにいればいつか必ず自分はあの薄紅の少女に牙をむく。
だから、自分がこういう存在であることを伏せなくてはならない。怖がらせないために。
隠して裏で対処しなくてはならない。可憐で愛らしい彼女を傷つけないために。
化け物としての自分自身から、リローヴィリャは彼女を守らねばならない。
今回、すぐ隣に座る若き商人に依頼して取り寄せてもらったこの薬も、あの子を守るために必要なものだ。
そういうと、隣の少女は困ったように眉尻を下げて黙り込む。
少しだけ申し訳ないと思いつつも、リローヴィリャはこの考えを変える気は今のところない。
事前に聞いていた代金を支払い、ゆるりとした動きで立ち上がる。
「……はい。ぜひまた、当商会をご利用ください」
そういった少女の顔は困ったような笑みで――きっと、リローヴィリャも同じような表情を相手に向けていた。
過去の記憶を思い返しながら、花弁が散って茎だけになった花を地面へ捨てる。
諦めて荷物から小瓶を取り出して、残りが少なくなってきた錠剤を一錠、口の中に放り込んで衝動のままに噛み砕く。
瞬間、舌に鉄の味が触れて――先ほどよりも飢餓と渇きが強く遠のき、リローヴィリャは一人で浅く息を吐いた。
この地に滞在している間、何度この飢えと渇きに悩まされるかわからない。
あの子が眠っている間に入手した錠剤の残数的に、これに頼るのは最終手段にするべきだ。
これを手に入れた日から長く時間が経っている。急に距離を取ろうとするリローヴィリャに不審感を抱くようになっていてもおかしくはない。
――きっともう、簡単に誤魔化されてはくれやしない。
拠点の天井を見上げ、一人、小さく呟く。
本能を抑える道具を。衝動を強く抑えるものを。
相棒である彼女とリローヴィリャ自身のために――リローヴィリャは、己を拘束するための魔法道具の存在を欲している。
かすかな苦味と蜜の甘み、そして身体に満ちる魔力が身体を巡り、腹の底からじわじわと全身に広がる飢餓と渇きがわずかに遠のいていく。
――けれど、完全に消えるにはまだ足りない。全身を蝕もうとするこの毒の勢いを完全に抑えるにはまだ足りない。
無駄だとわかっていながら自身の手の甲を噛み、リローヴィリャは過去に自身へ向けられた言葉を思い出した。
『――アルヴァハウル様は、お連れ様にこのことをお話しないのですか』
多くの冒険者からの信頼を集め、数多くの商品を取り扱う商会の一つ。
リローヴィリャが正体を隠して冒険者になるにあたって、もっとも力を貸してくれたその商会に属する少女は、カウンターに小瓶を置きながら静かな声でそう問いかけてきた。
夜が深まった宿屋の酒場。
相棒である少女が眠っていることを確認してから酒場に降りてきて、商会に属する彼女と『商談』をしていたリローヴィリャは、その問いに思わず瞬きをした。
多くの冒険者や利用客が集まっているこの場所は、深夜と呼べる時間であるにも関わらず賑やかで、声を潜めて口にした名前を聞き取れるのはすぐ隣に座るリローヴィリャぐらいしかいない。
隠している名前を口にした少女を見つめ、すぐに苦笑いへと表情を切り替えて、リローヴィリャは置かれた小瓶へと手を伸ばした。
リローヴィリャ
「そっちの家名じゃなくてサリスティラって呼んでほしいな~。
ここにいるおれは、侯爵家のリローヴィリャじゃなくてただの冒険者のリローヴィリャなんだから」
「そっちの家名じゃなくてサリスティラって呼んでほしいな~。
ここにいるおれは、侯爵家のリローヴィリャじゃなくてただの冒険者のリローヴィリャなんだから」
「……失礼しました。以前、取引をしたときはアルヴァハウル様のお名前だったので」
リローヴィリャ
「いいよ、別に。
君にとって馴染みがあるのも、サリスティラの名じゃなくてアルヴァハウルの名だろうしね」
「いいよ、別に。
君にとって馴染みがあるのも、サリスティラの名じゃなくてアルヴァハウルの名だろうしね」
言いながら、リローヴィリャは小瓶を酒場の照明にかざした。
美しい小瓶の中には赤黒い錠剤がいくらか入っており、揺らすとガラス製の壁とぶつかって涼やかな音を奏でる。
また小瓶をカウンターへと戻しながら、言葉を続ける。
リローヴィリャ
「それで、あの子に――ペスカに話さないのか、って話だったよね」
「それで、あの子に――ペスカに話さないのか、って話だったよね」
「はい。同じパーティーを組んでいるようなので。
アルヴァハウル様……んん、サリスティラ様のお身体のことについて、話されないのか疑問に思いました」
いつまでも隠せるわけではないこと、おわかりでしょう?
言葉にはならなかったが込められた意味を理解し、リローヴィリャは困ったように眉尻を下げ、けれど口元には薄く笑みを浮かべた。
脳裏に浮かぶのは一緒に行動をするようになった、薄紅色をまとう少女の姿。
一人で自由を楽しむのとは異なる楽しみを教えてくれた、退屈を忘れさせてくれる少女。
彼女が浮かべる、花が咲いたようなあの笑顔を思い浮かべながら、そっと唇を開く。
リローヴィリャ
「――話さないよ」
「――話さないよ」
まだ、話さない。
隣に座る彼女が言いたいこともわかる。いつまでも隠せるはずがない。
魔力が枯渇する瞬間なんて今後も何度も訪れる。今はさり気なく距離を取ったり言葉を並べ立てて意識を別のほうへ向けることで誤魔化している。
だが、聡明なあの子のことだ。そういつまでも誤魔化されてくれないだろう。
けれど、リローヴィリャは自分自身の『これ』を限界まで伏せて、隠すつもりでいる。
伏せて、隠して、彼女が見ていないところで対処して――人間のふりをするつもりでいる。
限界まで。どうしても隠しきれないと判断するまで。
リローヴィリャ
「だって、怖いじゃないか。
自分の隣にいるのが普通の人間じゃなくて、人間の血を必要とする吸血鬼が混じった人間なんだって知ったら」
「だって、怖いじゃないか。
自分の隣にいるのが普通の人間じゃなくて、人間の血を必要とする吸血鬼が混じった人間なんだって知ったら」
――そうだ。リローヴィリャは普通の人間ではない。
魔力を消耗するごとに少しずつ強まる飢餓と渇き。
保有する魔力が枯渇した瞬間に強く現れる、人の血を必要とする衝動。
それはどれも普通の人間は持たない人外としての特徴で――きっと、何もせずにいればいつか必ず自分はあの薄紅の少女に牙をむく。
だから、自分がこういう存在であることを伏せなくてはならない。怖がらせないために。
隠して裏で対処しなくてはならない。可憐で愛らしい彼女を傷つけないために。
化け物としての自分自身から、リローヴィリャは彼女を守らねばならない。
今回、すぐ隣に座る若き商人に依頼して取り寄せてもらったこの薬も、あの子を守るために必要なものだ。
リローヴィリャ
「……すぐ傍にいる信頼できる相手でも、全てを話すことはできないものだよ。
君にだって、すぐ近くにいる大事な人にひた隠しにしていることがあるだろう?」
「……すぐ傍にいる信頼できる相手でも、全てを話すことはできないものだよ。
君にだって、すぐ近くにいる大事な人にひた隠しにしていることがあるだろう?」
そういうと、隣の少女は困ったように眉尻を下げて黙り込む。
少しだけ申し訳ないと思いつつも、リローヴィリャはこの考えを変える気は今のところない。
事前に聞いていた代金を支払い、ゆるりとした動きで立ち上がる。
リローヴィリャ
「今日は良い取引をありがとう。また足りなくなったらお願いするね」
「今日は良い取引をありがとう。また足りなくなったらお願いするね」
「……はい。ぜひまた、当商会をご利用ください」
そういった少女の顔は困ったような笑みで――きっと、リローヴィリャも同じような表情を相手に向けていた。
過去の記憶を思い返しながら、花弁が散って茎だけになった花を地面へ捨てる。
諦めて荷物から小瓶を取り出して、残りが少なくなってきた錠剤を一錠、口の中に放り込んで衝動のままに噛み砕く。
瞬間、舌に鉄の味が触れて――先ほどよりも飢餓と渇きが強く遠のき、リローヴィリャは一人で浅く息を吐いた。
この地に滞在している間、何度この飢えと渇きに悩まされるかわからない。
あの子が眠っている間に入手した錠剤の残数的に、これに頼るのは最終手段にするべきだ。
これを手に入れた日から長く時間が経っている。急に距離を取ろうとするリローヴィリャに不審感を抱くようになっていてもおかしくはない。
――きっともう、簡単に誤魔化されてはくれやしない。
リローヴィリャ
「……ペスカから情報は得てるわけだし、早いところ聞きにいったほうがよさそうだなぁ」
「……ペスカから情報は得てるわけだし、早いところ聞きにいったほうがよさそうだなぁ」
拠点の天井を見上げ、一人、小さく呟く。
本能を抑える道具を。衝動を強く抑えるものを。
相棒である彼女とリローヴィリャ自身のために――リローヴィリャは、己を拘束するための魔法道具の存在を欲している。