Eno.133 ジョシュア・ローランド  7日目 くらやみの森 - くらやみの森

くらやみの森の中、少年は決断を待ちます。
まだ、なにもはじまっていないし、なにも終わっていません。
少年はこれからなにかするかもしれませんし、しないかもしれません。

ジョシュア
「生きることにも死ぬことにも、
 人は終わってからでも振り回されるってことだね。」


ジョシュア
「まぁ僕は“振り回す側”なんだけどさ……」


色々な意味があります。
今この場所で、なにかをするかもしれない人であること。
なにかができる可能性があること。

あるいは、死者を自由にできるということ。
生と死の境界を越えた者として、生と死を好き勝手出来ること。

ジョシュア
「僕はそれを望み、それを学んだ。
 こういう時のためというわけではなく、ただ自分自身のために」


ジョシュア
「どんなにがんばったって、すべての行動には代償が付いて回るし、
 あらゆる行動は、誰かのためだと思っても、めぐりめぐって自分のため」


ジョシュア
人間の作る物語は、美しくなどならない
 ――けれど」


ジョシュア
「限りなく美しくなるように、努力することはできる。
 よりよい終わりに向けて、自分と他人を納得させ続けることで」


成功するためには、99%の努力があっても、1%のひらめきがなければなりません。
ですが、どんな天才であっても、99%の努力を行うことは難しい。

ジョシュア
「“どこで諦め、どこで終わるか”。
“それに向けて、何をするのか”」


ジョシュア
「ああ……見ものだな。」


笑顔とは裏腹に、ため息が出そうになります。
選択を迫られるひとびとのことを思うと。

自分だって、さまざまな選択をしてきました。
よいものも、悪いものも。
それには責任が伴うし、大なり小なり傷を負うもの。
それを“ちょっとした不幸”として、手放しに楽しむことは、まだ少年にはできませんでした。

ジョシュア
「……蘇生の術の練習ができる、いい機会だと思ってるんだけどね。」


ジョシュア
「そうでなくても、他人の作った死者に触れる機会……
 楽しいことになるといいけど、どうなるだろう、ね?」


――少しでも、よい方向に進みますように。
――“君の旅路がよいものでありますように。
その言葉に、願いに、嘘偽りはないのです。

そう、せめて、納得のできる終わりでありますように。








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