Eno.435 トリサ  Ⅷ:『死神』について - ひかりの森

今日で、5日目の夜。

霧の中出歩いてうっかりクマとヘラジカの集団に遭遇し、ぼろぼろになりながら逃げかえってきたのが昨日の話。今日はまだ行ったことのない東の地へと向かう。北西の果てだったので次は『逆』の北東の果てを目指すことにした。
特に問題なく進んでいる。強いて言えば、シェルが思った以上に見当たらず特に目新しい発見はなかったことが問題だろうか。今いる場所は人がおらず、随分と静かだ。北西への道のりはまだ数日かかりそうだ。


ランドラが好む土がそこそこ集まった。
自分には必要ないもので、顔色悪い奴(自分について来ているランドラ)にやっている。時折戦闘中に怪我を治療してくれる。どうやら顔色は悪いが法力にも似た力を使えるらしい。特に害はないのでそのままにしている。

後ろを常についてきて、花の世話を代わりにしてくれる。
じ……とこちらを見つめてくることこそあるが、それ以上の関与はしてこない。
それが本当に助かった。他の個体のように懐く様子はない。だたそこに居る植物だと思えば。


見るな。寄るな。触るな。来るな。
私をそんな目で見るな。そんな純粋な目で後を追いかけてくるな。
手が上がりそうになる。暴言を吐きそうになる。
幼い頃に受けたそれと同じになりたくなくて。
だけど、それしか親が子への施しが分からなくて。

花を育てられない。
育てる、という行為が親を想起させる。
自分がそれらと同じになるような気がして。
もし上手くいかなかったら。もし自分の思うように育てられなかったら。
支配しようとするのでは。力で従えさせようとしてしまうのでは。
考えるだけで吐き気がする。
見ているだけなら、大丈夫。赤の他人の親子を見てもさほど動じないのと同じ。
他人事として捉えて、己の心を守る。

自分という存在が、そこになければ耐えられる。

だけど、こっちに来てから親や愛や、そういった話には酷く敏感になってしまって。


……かつて暴行を受けてできた傷が痛い。もうそれは痛みを訴えないのに。
見るに堪えない姿を黒衣に包み、隠す。

同情されたいわけでも、自分が可哀そうだということを知らしめたいわけでもない。
だから、知らなくていい、知られない方がいい。

私は可哀そうな子供じゃない。
私は今、救われて幸せなんだ。
もう全部終わったことなんだ。もうかつての悪意に晒されることはないんだ。


真っ赤な花を狂い咲かせて。
そうして見せられたものが、あまりにも忌々しくて、許せなくて、憎くて。

過去に犯した大罪は、未だに私を雁字搦めにする。

復讐が何も生まなければよかったのに。



―― この古い傷跡は、果たして恥か、誇りか





ティカ
「(……もう三か月たちますが)」

助けて!!!!!!!!
(魔力の共鳴、全く起きない――!)

ティカ
(魔力を持たない者が魔力を扱えるようになるって
 こんなに難しいんですか!?
 でも早い人で3日、遅くても1~2か月ってありましたよ!?
 それ以上は魔術への才能がないとすら書かれていますが!?)

テラート
「難航してるわねぇ~」

ティカ
「あぁ、テラート。トリサに魔法を教えるべきではなかったかもしれません。
 魔術に向いていない人間でした」

テラート
「あら? 私の教えに反するのかしら?
 あの子の心を、あなたが否定してしまうの?」

ティカ
「そういうつもりではありませんがぁ……
 けれど、感情だけでは上手くいかないこともありますってぇ~」

テラート
「………………………」

テラート
「ねぇ、ティカ。鍵がかかった扉って、
 必ずしも鍵を開けないと中に入れないってわけじゃないわよね?」

ティカ
出た、テラートの突然のよく分からない話!!

ティカ
「えぇとぉ……窓からの侵入を試みたり、来客を装ったり。
 手はあると思いますが」

テラート
「あるいは、そもそも扉が壊れていて、ぶち壊しちゃうしかなかったり」

テラート
なんならおうちを爆発しちゃってもいいってことよね!

ティカ
仮にも聖職者が蛮族的思考すぎませんかねぇ!?

テラート
「魔術も、法力も、私は一緒だと思うの」

テラート
「だって信仰がない人だって、意志の力で傷を塞いじゃうんだから」

ティカ
「…………」

ティカ
「……ねぇ、テラート様。私、トリサの持つ武器を一つ、思いつきました」

ティカ
「ですが、聖北の教えとはあまりにも都合が悪すぎる。
 そして、あなた様にとっても、もしかすれば――」

テラート
「ティカ」

テラート
運命は、生も死も平等なはずなのよ。
 だというのに、人間ってどうして不平等を説くのかしらね?




3日ほどお休みを欲しいと教会に申し出たのはティカだった。理由は私に魔法具を用意するためだと言っていた。
魔力が分かるようになれば、次は扱う練習に入る。そこで魔法具を利用するようになるのだが、私はまだ魔力すら分からない。「私が居ない間は魔力と共鳴させる練習はしなくていい」と言った。どうしてか聞いても、帰ってくるまでのお楽しみ、とはぐらかされた。


そうして、3日後。


ティカ
「トリサ、あなたには早速ですが一つ、魔術を行ってもらいます」

トリサ
「は……? 私はまだ、魔術どころか魔力すら分からないままなのに?」

ティカ
―― 召喚術。そして、契約

ティカ
「といっても、一般的な召喚術や契約とは違います。
 そうですね、具現化、が一番正しいジャンルかと」

トリサ
「……具現化? 一体、何を?」

ティカ
「あなたの感じた、、そのものを」



背筋がゾッとして、心臓をわしづかみにされたようだった。
準備をしながら、ティカはある能力のことを話す。


死を理解した人間は、生存本能や生の感覚が歪むことがある。


ある者は『死』そのものが見えるようになった。
生と死の境界線が見えるが故に、何をすればそれが死ぬのかが分かる感覚が身についた。

ある者は『死』そのものに疎くなった。
死に対する恐怖に疎くなるが故に、死の直前まで己にあらゆるブレーキが利かなくなった。

ある者はほんの微かな『死』すら嗅ぎ分けるようになった。
異常なまでの死に対する恐怖から、気を狂わせ正気を失い戦う術を身に着けた。



そういう、『歪み』が生じることがあるらしい。


ティカ
「血で魔方陣を書く必要があるため、痛い思いをさせることになります。
 それだけではなく、かつて触れた死を直視することになると思います」

ティカ
「……やっぱり、怖いですか?
 かつて己の命を奪おうとしたソレと対峙するのは」



やめてもいいと思っています。
ティカは私にそう伝えた。いつもの作り物のような、心の奥に悪意を持つような、そんな表情ではなかった。

どう、と言われると分からなかった。いくつもの絵具を混ぜ合わせて、元の色が分からなくなった。黒に近いが、黒ではない。それしか分からない。


トリサ
「……怖いよ。怖い、けれど」

トリサ
「……あきらめたくない。何もできないままで居たくない。
 テラートや、ティカの役に立てるようになりたい……!」

ティカ
「……やっぱり、根性だけはありますねぇ~ 素敵な才能です」



熱して消毒した銀のナイフを手首に滑らせる。
ナイフの痛みに顔を顰め、耐える。滴る血を器に入れていく。視覚で失われていく己の紅を見つめることが怖くて、目を逸らしていた。


ティカ
―― 契約者の血の中に、『罪』を一滴



ティカも同様に、指先を切って一滴の血を加える。
死の概念を強くするための魔力を込めました、と。何かをはぐらかすような声だと思った。が、些細な話だろう。

ティカに教わりながら魔方陣を書いていく。教会の地下で行われる黒魔術。
聖北の教えであれば、決して許されることのない所業だろう。しかし教会の地下まで、神は見ていない。ここではテラートという人間の領域であり、テラートという人間が法だ。


ティカ
「書き終わりましたね。
 さあ、あなたが術を唱える時間です。どうぞ、初めての魔法を」



術式は覚えた。後は、呼び出すだけ。
手を魔方陣の中心に置き、唱える。


トリサ
『―― 織り成す死よ形となれ
  我は冥府の扉を開き、禁じられた縁を結ぶもの』

トリサ
『生と死を隔てる境界線
  命の線引きは万物に等しく在る』

トリサ
『我がトリサの名の元に
  魂を刈る者よ、今ここに形となれ!


ティカ
―― えぇ、応えましょうとも。
 死を肯定する者に、我らが神の祝福を



其れは死霊術ではない。死者にこそ干渉できるが、死者を従えることはできない。
この呪いまじないは、神の祝福だ。故に神聖なる法力や魔術と打ち消し合うことはなく、それどころか相乗効果を生む死『神』の鎌だ。

ひんやりとした鉄、のような塊は、人の命のように恐ろしく軽い。
分からなかった魔力というものが急に分かるようになる。魔法具として呼び出されたそれは魔力的に私と繋がっていて、己の力を主張してくる。
自分の体躯と相反する巨大なそれに、少なからずの恐怖を覚えた。

けれど、それ以上に。

ティカ
「―― 無事成功ですね」

ティカ
「ご気分はどうですか、リトル・リーパー?

トリサ
「…………」

トリサ
…………!



私は、魔術を成しえたのだ。
私は、『死神』と成りえたのだ。
その喜びを噛みしめて、その鎌をぎゅうと握りしめた。





テラート
「聖北の教えには、死神という考えはないの。死を司る神様はいるのにね」

テラート
「死を持って救済と成すこともあるのに。
 救済に対し、死を否定しているよう。
 私はこの部分を好ましく思えないわ」

トリサ
「……なら、私は」

トリサ
―― テラートの言う、死を、救済を。肯定していくよ


神様になんてなれやしないけれど。
あなたの齎す、人にとっての暗い部分を。何があっても私だけは、肯定していきたかったんだ。








<< 戻る