Eno.357 キョク  とある塔の日々2 - めざめの平原

クローヴァル
「これは、春柱島はるばしらじまに『まだ冬があった』頃のお話」


暑さも過ぎ去り、晴れ空に薄い雲が疎らに浮かぶ秋の頃、ひとりの若者が出店を眺めていた。
今日は祭りの日で、旅商人たちが掘り出し物を売り出している。

若者が立ち寄ったのは、花屋だった。
屋台には所狭しと、小さく綻ぶ秋の花や、花芽をつけた苗、土を纏った球根、大小さまざまな種が敷き詰められている。

若者は、『牡丹』と書かれた種に注目した。
牡丹とは、百花の王と例えられるように大輪を咲かせる立派な花。
この頃はまだ庶民の手に出回ってから間も無く、まさに高嶺の花だった。

幸い、払えない額では無い、と若者が財布に手をかけたところ、隣から声がする。
何事かと首を巡らせたら、どうやら声の主は『苗』のようだ。

「種を育てるのは時間がかかる。
 既に花芽をつけた我にせよ。
 すぐ、大輪を見せしめよう」

苗は種より高くついたので、若者はしばらく財布の口を開け閉めしていたが、
結局、すぐにでも牡丹を拝みたい気持ちが勝った。
若者は牡丹の苗を抱え、家路についた。

さて、それから1日が経ち、1週間が経ち、やがてひと月。
すっかり落ちた枯れ葉を寒風が転がすようになったが、牡丹の苗は苗のままだった。
花芽は青々として、ぴっちり口を閉ざしている。

若者は問う。

「すぐ咲かせると言ったじゃないか、まだなのか?」

牡丹は呆れたように答えた。

「何を言う。春を待て。我が咲き誇るのは、年を越し、梅や桜が落ちたその後だ」

若者は唖然とし、それからふつふつと沸き上がるものを覚えた。
ちっとも『すぐ』ではない、騙された、と。

ところで、この若者は知らなかったのだ。
牡丹という植物が、長い年月をかけて育つものだということを。
種を植え、花芽をつけるまでに5年、10年。
牡丹にとって、翌年の春に咲くというのは十分『すぐ』だったのだ。

さて、そんなことおかまいなしな若者は、どうにか損を取り戻せないか思案する。
だが、祭りが終わった今、商人はとうに旅立ってしまって文句のつけようもない。
仕方ないので、若者は自分の仕事に戻って気を紛らすことにした——

ちょうちょ
「かなしいすれちがいなのよ!」

クローヴァル
「おとなしく春まで待てという話だが、
 それだけ当時の冬が厳しく退屈なものだったということだろうな」

クローヴァル
「さて、続きを読むぞ」









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