Eno.40 ペスカーシァ=フィオレッサ 少し前の事 - はじまりの場所
ペスカ
「えっ。此処でそんな当てっこを!?」
「えっ。此処でそんな当てっこを!?」
何時もと違う場所で、何時ものやり取り。
彼の調子は何時も、どんな時でもこんな感じだ。
とても頼りになる先輩だし、実際、色々なことを教わっている。いるのだが……。
ペスカ
「……、…………なんだろう。えーと、えーと……」
「……、…………なんだろう。えーと、えーと……」
いつも、彼はこうマイペースなのだ。
ふわふわゆらゆら。
燻らせる紫煙のように。
ちょっと捉えどころがない男の人。
だからこそ、彼は私を受け入れてくれたのだろうけれど。
ペスカ
「……ま、マンドラちゃんの、成長記録……とか?」
「……ま、マンドラちゃんの、成長記録……とか?」
真剣に考えた後、そんな答えを返してみる。
記録を取ることが大事なら、これは合っているんじゃないか。
……あれ?でも、さっき雑に鞄に突っ込まれていたような。
❁⃘
❁⃘❁⃘❁⃘❁⃘❁⃘❁⃘
これは今から少し前。
大凡、一年程遡った前の記憶。
私が冒険者になる前の事。
十五歳を目前に控えた私は、巫女の修行の一環のお使いで島の外に初めて出る事になった。
本当は島の外にでるチャンスは山程あったけれど、農家の仕事のが好きだったのだ。
もちろん、外の事に興味がないわけではないし、島の岬から見える遠く離れた向かい側を想像した事もある。
けれど、やっぱり家の農仕事のが好き。
巫女の修行が始まる前に自分で植えた、桃やアーモンドの木の面倒を見る方が楽しく感じる。
……勿論。それが巫女の修行としてならば、当然断る事もできなくて。
両親も、私の三つ上の姉も。友達やご近所さんのおばあちゃんにも、
良い機会だから行ってみなさいって言われてしまえば、退路もない。
飼っている馬の子がそろそろ産まれてきそうではあるけれど、それまでには間に合うだろう。
ぶーたれながらも旅の支度をして、私はいよいよ島の外へとでる船に乗り込んだ。
❁⃘
──これはフロスヒル島の伝統。
フロスヒルの島には聖樹信仰という古い、古い文化がある。
少なくとも数百年前からあった信仰だ。
この島で産まれた少女が十の歳を迎えた時。この島の巫女になるかという選択肢が授けられる。
決して強制される事はなくて、生まれた家柄も関係なくて。
この島を愛し、守りたい者が、巫女になる事を名乗り出て良い───そういうものであった。
巫女よりもなりたい事があれば優先して良い。他の夢を抱いて良い。
島の外に出ることを選んだって良い。
そんな寛容さと自由で選ぶ事を許されていた。
ただ一つ、私の世代では問題があって。
この年で巫女になれる歳を迎えたのは、私だけであった。
つまり、私以外になれる娘は居ない。必然的に白羽の矢はたってしまう。
半分は仕方ないという気持ちと、もう半分は大好きなこの島の為ならという気持ち。
巫女になる事に自体に不満もないし、島を出る予定も無い。
名乗り上げた以上は真っ当する気概くらいはあった。
それに巫女になったからといって、両親の跡を継いでいけないわけではない。
巫女を務められる期間を終えれば、後は後世の育成を手伝ったりしながら農家のお仕事と両立ができる。
結婚して、家を継いで、子供を育てて……普通に生きていく。
……そんな人生設計をしながら、私は巫女としての修行に勤しんだ。
その間にも農民としての生活もあるから、これまたなかなか忙しい日々が続いて、五年。
短くも目まぐるしく時間が流れて、巫女見習いから正式なフロスの巫女になれる日が来たのだ。
❁⃘
十五の誕生日に儀式を行い、そこで漸く一人前の巫女と扱われる。
それまでは、自らフロスの巫女を名乗るのは禁則。いけない事なのだ。
それが聖樹信仰の中で唯一明確に、禁じられた行為。
罰せられる事はないけど、みんなが守ってきた約束事なのだ。
だから、守っていかなければいけない。今も、この先も。
儀式を通して洗礼を受けて、もう一つの名前を貰って、みんなの前で舞を披露する。
───年に一回だけ訪れるその日は、島の中でもちょっとしたお祭り。
皆がその日を楽しみにしているのだ。
フロルヒルの島は、都会と言える程栄えてはいない。
幾つかの里と大きめの街が二つ。島外へと出る為の大きい港が一つ。
冒険者の、旅に慣れた足であれば、七日程で外周を一周できるらしい。……本当だろうか。
うちの島は見所はいっぱいあるけれど、娯楽といったものは殆どない。
此処で育った果物や穀物、花の類は名品と言われる。逆を言えばそれくらいしかない田舎町。
こんな島だからこそ、こう言った催し物は大変喜ばれる。
私も心を躍らせながら、お使いをすませる。
島を出て片道三日半、往復で約七日の旅程。
はじめての島の外は、田舎娘である私にとっては少し刺激的で……好奇心を刺激されるものであった。
出発する前はだいぶ気乗りはしなかったけれど、自分の足で歩く、知らない土の感触は正直楽しい。
旅路は安全なもので、特に問題も危険もなく進んでいった。
頼りにした地図は使い古されたものだけど、素人の私でもわかりやすかったし、歩くべきは道がしっかりと書かれていて、迷う事もない。
お使いを終えて、いよいよフロスヒルと接続する港へと戻ってきた。
大凡、七日ぶりに見える海の先の故郷。
まだそれくらいなのに、随分と懐かしい気がして、早く見たい───
❁⃘
ペスカ
「…………?」
「…………?」
港がいつもと違う、騒がしさに満ちていた。
何か、ただの喧騒とは違うような、何か脅威を含ませた声の色。
どうしたのだろう。
胸騒ぎに背を押され、自然と駆け出していた。
既に、港は野次馬か、或いは、此方にも飛び火しないかを不安で見にきている人だらけだった。
少しでも、その胸騒ぎの先にあるものを確かめようと人混み掻き分けていく。
そうして、もう少しで海の先が見えるところで、衛兵さんに止められてしまった。
訳を言って通させてもらおうとしたその時に───
「…………───ああ、くそ!くそっ!!やっぱりだ!」
「───フロスヒルにスタンピードだ!!」
ペスカ
「──────!?」
「──────!?」
観測員の怒鳴り散らす様な声が響びいた。
次には、響いた騒ぎたてる港の人達。
それらを収めようとする衛兵さんたち。
その、どの声もが、何処か遠くで聞こえてるような。
私には理解できない言葉なのではないかという音にしか聞こえなくて。
手にしていた荷物を落として、ただ駆け出していた。
───スタンピード。
この世界における、ありふれた、それでいて一番恐ろしい大災害。
古い時代から今に至るまで続いている、尽きぬ悩みの一つ。
大量発生した魔獣による大暴走、人里への侵攻、そして蹂躙。
人の住む領域を根絶やしにする───そんな言葉すら生易しい大行進は、
人里の一つ、二つでは済まない事も多々ある。
魔獣達の暴威を止めるには討伐するしかなくて、未然に防ぐ手段はまだなど見つかっていない。
綿々と続くどうしようもない災害は、この世界の病だ。
それが今、私の大好きな家を、故郷を、飲み込んでいっている。
───行かなきゃ、行かなきゃ。あそこは私の───
周りの人に止められても、それでも止まれずに。
振り払い、もがく様に、暴れるように進んで、進んで、
衛兵さんが私を強く取り押さえて漸く。
「……あの髪の色、眼の色。あの子───」
「可哀想に、フロス島の子だよ……」
「ちょっと前にお使いで来た子じゃないか……気の毒に」
憐れみを含んだ囁きだけが、やけにはっきりと耳に届く。
本当に、そう思っているのだろう。
でも、そんなのいいから───私をあそこに。
その後の事の記憶はない。半狂乱だったのだろう。
後から聞かされた話だけど、取り押さえられ、落ち着くように何度も諭された後、
私はショックのあまり気を失ってしまったらしい。
薄らいでいく意識の中で見えた、光景は。
海の向こう側で起きる災害に、多くの人々は恐怖に怯え、或いは理不尽に怒りを覚え。
向こう側の無事と、どうかこちら側に火が燃え移らないように祈りながら。
色んな所から火の手が上がるフロスヒルを、見守る人達の姿だった。
❁⃘
次に気が付いたのは衛兵さんが使っている宿舎の中。
柔らかい朝日が顔に差して、私は目が覚めた。
「───あぁ、目を覚ましたか」
ややしがれた、穏やかな男の人の声が此方に向く。
「私の部下の者がだいぶ強く抑えてしまったらしいが……どうかな?
痛むところとかはないかね?」
此方を気使う声は酷く穏やかで、少し疲れを感じさせる。
隣接する港街だから、
「……………………。
………………君は。フロスヒルの子だね。なら。黙っておくわけにはいかない事だ。
けれど、どうか落ち着いて……聞いてほしい」
二度、三度、と。繰り返し息を吐いてから、重々しく口が開かれる。
「……今日未明、フロスヒルは完全陥落した。
フロスヒルとこの港を繋ぐ航路は、その時を以って閉鎖。
……あの島に渡る事はできなくなった」
十五を迎えた朝。
なんの前触れもなく、私は帰る家を喪った。