Eno.663 ジオグリス=エーレンベルク  明けぬ夜はなく - ひかりの森

もうすこし後の話。未来の話。

行くときは一人だった。戻ってきたときには連れがふたり。
自分の復讐のために、力を貸してくれる人達。

……人、とは呼べないが。便宜上。



作戦内容。

自分の持つ空間転移に過剰なを付与し、"雪崩"を世界の外側に弾き出す。

祝福の彼が引き起こした現象の再現。
なにもない場所へ引き摺り込み、閉じ込め、餓死させる。

作戦自体の必要時間は1分にすら満たないだろう。絶対成功を前提としたもの。
失敗が許されない以上、準備は入念に行う必要がある。


というところで、問題に直面する。

言語だ。
ストロールグリーン内では自然に通じていたが、思い返せば何か泡が作用していたのかもしれない。
とはいえ、予想できなかったことではない。

文字をある程度仕込んでいたのは幸いだったと思う。
自分の方も、解読できたとは言えないもののある程度彼の世界の文字は覚えている。
竜の彼女に至っては翻訳手段が無い事もなさそうで。

先ずは最低限、意志の疎通がとれるようになる所から必要だった。
上と下、お互い解ってない部分の補完を彼女が出来た分、順調だったように思う。
正直二人の理解速度が早すぎてまた羨む部分が出来ている。いいことなんだよな。



並行して増幅の術式を調べる。
都の図書館を当たるのは、という案を思い返し魔術書の類、補助系の書物を漁ったところ無事に発見。
まずは普通に扱えるように、増幅に増幅を重ね続ける式はまた後から。

言語勉強会を挟む傍ら、工房に話を通す。
土台になる部分は彼女に任せても良さそうだが、こちらはまた別の話。
持ち帰れたラスキュラ、エノメナを利用して組み込む素材を作る。増強がどこまで通るか。
資金だけが問題だったが、鱗一枚で全てが解決してしまった。

じゃあもっと売りましょうかーなんてドラゴンジョークが飛び出したのはこの時だっただろうか?
冗談で良かった。市場が!



罵倒だけがやけに流暢になっている。許してほしい。いや悪いのは俺なんだよな……



増強を織り込んだ布に増幅式を書き続けている。性質上試運転が出来ないというのは恐ろしい。
不備がないか何度も全員で確認しては繋ぎ続ける。
書き間違いは魔力液であるお陰でいくらでも書き直せるのは幸いだ。
明らかに自分より彼の方が作業が早い。しかも丁寧だし。丁寧に書かないとまずいのはそうだけど。

書き終わった布を触媒に通せるようにしなくてはならないが、それは別の素材で実験済み。

夜遅くまで作業をし、寝かしつけられること数……数十……はい。
羽根の寝心地は気になるが、こういう時彼を頼りたかった。羽根の持ち主は笑っていたと思う。



この面子全員が泣けないタイプだということが発覚した。そんなことあるか?
息抜きに軽く試してみたところ、偽イチゴが感涙した。どらきちも嘘泣きを獲得した。



宝石の二人から分けられたひとかけらを眺めている。

紫の方は使うつもりだ。使わない理由が無い。
けれどもう片方、橙の方。

自分からすれば、喉から手が出るほど欲しかった奇跡の一端。時間操作。
どうして今更!そう叫ぶ心がある事は否定できない。
けれど、純粋に自分たちを思って贈られたそれにそんな濁った感情を持ちたくなかった。

こちらは保険か、或いは別か。
決行時にはどちらも直ぐ出せる場所にしまっておく。



"雪崩"が集落を一つ飲み込んだらしい。



喰らい燃ゆる雪崩。暴食の獣。災厄。
何処から生まれたのかわからない黒ずんだ灰、業の怪物。

焦ってはいけない。
とうに治った人差し指を握る。
何処かで笑い声がしたような気がした。



偽イチゴの水浴びの仕方がすごい。これ合ってる?



増幅式の最終確認をしている。何処かで止まれば終いだ。
保険を兼ねて結局二倍作ることになった。

長かった。本当に。
力が抜けるが、ここからが本番だ。

後は遂げるだけ。



"雪崩"の位置を確認している。



星に祈っている。或いは自分が祈り続けた見守るだけの神に。
青い星。あの子によく似た色。あの人によく似た輝き。愛する猫とは違う色。

全部終わらせる。だからどうか。

俺の往く道を照らしてください。


覚えているのは空を埋め尽くす色だ。


吹き荒れる灰、接触箇所からゆっくりと融解する毒。
彼女が用意していた装備類が無ければどうなっていたことだろう。

竜種を"見た"のは初めてだった。

あの日の影とは比べ物にならない、自分と違う次元の存在。上位者のそれ。

かの暴食にとって、極上の餌だろう。どうせ自分と同じで味の良し悪しなどわからない。
"雪崩"が狙うとしたら竜の肉か、質の良い肉か。
そのどちらにも相当しない自分は、進路に居なければ巻き込まれることは無い。
眼中にありませんってか。殺してやる。

その場にそぐわないほどに、明るい声が響いていた事を未だ覚えている。


10秒。

10秒あれば全てが終わる。その10秒を彼女が稼ぐ。
人の身ではこれ以上構築の時間を縮めることはできなかった。

"雪崩"の喰らえる範囲外から狙いを付ける。
羽根筆を別に持つ彼は防護、防壁を10秒の間任せることにして。
その一瞬で流れ弾が潜り抜けてくるぐらい考えられる。ありがち・・・・なこととして。

手を握りたかったけれど、それをすると巻き込む。
巻き込まれてもいい、のかもしれないが。不用意にあれの前に晒すわけにもいかないから。

紡ぐ。紡ぐ。紡ぐ。

今度は間違えない。

必ず殺す。ここで殺す。今日この日のために今まで生きてきた!
殺意、憎悪、嫌悪。狂気に浸した全てを紫の結晶に焚べてやる。
全部、この一瞬の為に。

対象指定。喰らい燃ゆる雪崩。除外するのはそれ以外の全て。座標は。

象るは糸、編むは網、縄、穿つは孔、作り上げるは架け橋を。
不可視の黄金の道、紫の導、紡いだすべて。

あの日のように、青色と目が合った。

空間は揺らぐ。

かくして、次元跳躍・・・・は成った。



外側。何もない場所。
幸いだった。自分の世界の外側が人体が存在出来る場所であるかなどわからない。
上も下も横もなにもない、足場が無い。ある。あると思えば、そこに足はついた。

存在証明には成功しているらしい。

誤算だったのは――

咆哮。

暴食の獣は目の前の餌を前にして、まだ存在を維持できる意思を持てたという事!

抜け出し方は解る。解っている。理の差。直ぐに脱出できない違い。
外側と内側に限定して、増幅要らずで次元跳躍を行えるだろうということ。

10秒。

10秒あればこの場から逃げ出せる。その10秒で怪物は俺を殺せる。

咄嗟の判断が出来たのは、師匠のような彼との訓練の日々のお陰だったと思う。

空間転移は元よりそう魔力を使わない。10秒分を、一回分を流し込むなど一瞬だ。
を放り投げ、代わりに手にとるは

元よりこの10秒に必要なのは、道を、扉を作り上げる時間。
紡ぐ。時間操作。紡ぎあげるまでの時を。時計回りの事象、加速。

咢が迫る。

それより早く時は満ちた。


「あばよ、怪物バケモノ


閉じられた顎、空を噛んだ。
持っていき損ね、転がり落ちた橙が散って紫の傍に降り注ぐ。

それを餌とみて、飢えた獣が飲み込んだ。

途端、始まるのは命の食らい合い!
負によって爆発的に増える毒、生命を喰らって生きる灰!

負の結晶、大罪の獣がその増殖量に勝てるわけがなく。

やがて"雪崩"がそうしてきたように、ぐずぐずに溶けて崩れて――
灰をぶちまけた紫だけが残され、存在証明に失敗した竜の毒もまた消え去った。

かくして。喰らい燃ゆる雪崩の悪夢は終わりを告げた。



目印アンカーを辿る。座標の指定先。
次元を抜けて、戻って来れたと気が緩む。置き去りにしてやったと歓喜が滲む。

姿勢制御に失敗して、高所から戻ってきてしまった身体。浮遊感。

死、



 ことはなくて。

ぼふ、と羽毛の中に埋もれた記憶。

ばかですねえ。ごもっとも。油断大敵。

待たせていた飼い猫もまあ酷い瞳で。
竜から降りて、抱き締めようとしたら最初に飛んできたのは張り手だった。
多分これが一番痛かった。

なんやかんやで再開のハグはして、竜が楽しそうに笑っている。

自分を呼んだのはどちらだっただろう。
その声に答えるように顔を上げて。

遠く、夜空の先。鮮やかな青、白んだ空。陽が昇りはじめている。

ああそうだ、ずっと夜明けが見たかったんだ。

明けていく空に残る淡い青は、妹の瞳の色をしていた。








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