Eno.534 玲沙  龍のお話 それから - ひかりの森

谷から空へ戻った翠の龍は、暫く各地を転々としました。
ふらりと立ち寄った人里で、谷底に落ちてから数年経っていた事を知りました。
魔王由来の魔物が消えた事と、魔王を討伐氏に向かった勇者一行が誰も帰って来なかった事を知りました。
龍は勇者の死は知っていましたが、他の仲間たちも帰らぬ人になったのかと思うと、やはり悲しくなりました。
共に過ごした時間は短いものでしたが、彼らが与えてくれた優しさは本物でしたから。

龍は谷の向こう側へ戻りました。
魔王が居なくなったおかげか、谷の上空は穏やかな風が吹くばかりの、飛びやすい空でした。
辿り着いた対岸で、龍はかつての仲間たちを探しました。
どうにかして生きているなら、それで良くて。
骸でも、体の一部でも、装備品ひとつでも。何でもいいので見つかればと。
結果、魔王の居城跡地にて、少女の弓と女性の仕込み傘と、女盗賊の折れた短剣と、パン屋の青年の朽ちた上着と。
寄り添うように眠っていた白骨死体を二人分、見つける事ができました。

龍はできるだけ見晴らしのいい場所を選び、仲間たちを丁寧に埋葬しました。
彼らがどんな最期を迎えたのかは分かりません。
龍にできるのは、人間の文化と同じように弔い、彼らの魂が迷うことなく、還るべきところに還れるように祈る箏だけでした。


仲間の弔いが済むと、龍は放浪の旅に出ました。
谷に落ちる前、薬師と分かれた直後のように、宛てもなく。
風の吹くまま、気持ちの赴くまま。
谷底で願ったように、どこまでも自由に歩きました。

旅の途中、珍しい香辛料に興味を引かれたり。
静かで綺麗な水場を好む水の精霊と仲良くなったり。
立ち寄った村で難病に苦しむ子供を治療したり。
遠い昔に芽を出した大樹の記憶を垣間見たり。
いろんな経験をしながら、世界を巡りました。


そんな根無し草の生活が何年も続いた後。
龍は、偶然通りかかった深い森に入りました。
その鬱蒼と茂った森は、「魔女の森」と呼ばれる恐ろしい場所でした。
森の中は昼間でも薄暗く、ひんやりとしていました。
それでも龍は怯むことなく、寧ろどんどん奥へと進んでいきました。
何かに招かれるように、迷いのない足取りで。

やがて、龍は小さな家に辿り着きました。
玄関の扉には、【月猫亭】と書かれた暖簾が掛かっていました。
龍は思いました。これは「マヨイガ」と呼ばれる怪異の一種だと。
入ってしまえば、どうなるか分かりません。
無事に出られる保証もありません。
けれど、龍は躊躇いなく扉を開けて入って行きました。


月猫亭には、女将を名乗る女性と、盲目の子供。それから白い大蛇が住んでいました。
彼らは龍を歓迎し、美味しい料理を振る舞ってくれました。
龍は自然と打ち解けた気分になり、彼らと取り留めのない事を話し、心を開いていきました。
龍のお腹がいっぱいになる頃。龍は女将さんに告げました。
「この居心地の良い場所で、共に過ごさせてもらえないか」と。

女将さんは、盲目の子供は、白蛇は。
新しい家族ができたと、とても喜んでくれました。
月猫亭は、来る者は拒まず去る者は追わず。
時々龍のように訪ねてきては、一緒に暮らそうとする人がいるそうです。
盲目の子供と大蛇も、そうしてやって来た住人でした。

月猫亭は、とても安全な場所でした。
森は「魔女」……女将さんに敵意のある人を拒み、絶対に通しません。
女将さんはとても優しい人で、共に暮らす家族を全力で護ろうとしてくれるのです。
龍は、漸く安寧を手に入れたと思いました。
そして、女将さんや子供達に恩返しをしようと、一生懸命働きました。

そうして過ごしているうちに、お山で一緒に暮らしていた薬師が、遠い街で薬局を開いたと聞きました。
あの薬師も元気でやっているんだと、龍は心から安堵し、嬉しくなりました。
お店を訪れるお客さんとも、女将さんの知り合いとも、龍はすぐに仲良くなりました。
脅かされない平和。誰にも侵害されない住処。美味しいごはんと、孤独とは無縁な生活。
龍が焦れた幸せが、月猫亭には沢山詰まっていました。

翠の龍は、やっと心から笑顔になれたのでした。
めでたし、めでたし。



──月猫亭との出会いは、私にとって大きな幸福だった。
  女将さん達は、今日も元気だろうか。暫く顔を見ないと、やはり寂しい。
  もうすぐ、帰るから。お土産を沢山持って。



 








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