Eno.534 玲沙  龍のお話 墓と谷と - ひかりの森

お城での一件の後、龍はお山に帰りました。
お山では、薬師が待っていてくれました。
悲しみに暮れて魂が抜けたような顔の龍を、薬師は黙って抱き締めてくれました。

龍と薬師は、お山で一番見晴らしのいい場所に沢山の穴を掘りました。
そして、その穴のひとつひとつに、武器や防具と成り果てた同胞たちを埋めました。
埋葬は、かつて里の人々から教わった文化でした。
龍が死ねば、体は朽ちるに任せて残った骨がそのまま墓標になるのです。
しかし、装備品になってしまったら墓標すら残りません。
龍と薬師は、生き残った者の責務として、同胞たちを弔うのでした。


あれから、王都は、お城はどうなったかというと。
僅かな間に滅びました。

おばあさん龍を討伐した兵士たちは大喜びでした。
王様も、様々な不安と悲しみから一時でも逃れたかったのでしょう。
おばあさん龍を解体することを命じ、その鱗も、皮も、骨も、角も、肉も。
全てを活用することにしました。
帰還した勇者の仲間たちの報告を受けて、深い悲しみに沈んでいた王様です。
お姫様が抱えて逝ったであろう無念を、龍を喰らう事で掻き消そうとしたのかもしれません。

翠の龍は、半分以上放心状態でしたが、それでも体は勝手に動きました。
両脚に大怪我を負った司教様に治療を施し、あの龍の血を、肉を、体に入れてはいけないと伝えました。
心優しい司教様は、あの龍が翠の龍のおばあさんだと気付いていました。
ですから、隊長殿にも同じように話し、龍を手厚く葬ってあげたいと訴えたのでした。

しかし、司教様と隊長殿の主張は通りませんでした。
目の前に、翠の龍より余程立派な龍の骸があるのです。
龍の有用性を知ってしまった人間たちに、感情論での訴えなどは意味を成しませんでした。
鱗は剥がされ、皮も剥がれ、角も牙も爪も鬣も、何もかもが「素材」として扱われました。
当然のように血は薬に利用され、大量の肉は物流が止まり食糧不足に陥っていた民に振る舞われました。

龍の肉を食べた人は、その日のうちに全員が死にました。
おばあさん龍の体は、長い間猛毒に侵され続けていました。
治療で快方に向かいながらも、体の中は少しずつ変質していったのでした。
そうして作られてしまった「猛毒の肉」を、何も知らない、龍たちの言葉に聞く耳を持たなかった人々は食べてしまいました。

おばあさん龍に毒を与えたのは、昔の王都の兵士たちでした。
長い時を超えて、因果が巡ったと云ってしまえばそれまでなのでしょう。

おばあさん龍の毒に侵された人々には、翠の龍の血を使った薬も通用しませんでした。
当たり前です。翠の龍の血で治せるなら、おばあさん龍はとっくの昔に元気になっていたのですから。
結局、王都の生き残りになったのは。
龍の言葉を信じたごく少数の優しい人たちと、「運よく」おばあさん龍の血や肉にありつけなかった貧民たちだけでした。

王様も、お城の重役たちも、殆どの兵士や魔術師も居なくなったお城は、とても静かになりました。
司教様と隊長殿は、失意と悲しみに潰されそうになりながら、死者を弔っていきました。
翠の龍は二人の友の為に、埋葬を手伝いました。
勇者の仲間たちも、お姫様を助けられなかったばかりか王都も救えなかったことを悔いて、粛々と弔うのでした。
勇者の少年はというと、おばあさん龍に剣を浴びせた際に隙が生じ、おばあさん龍の攻撃を受けていました。
その時の傷は深く、昏睡状態になったようでした。
その話を聞いても、翠の龍の心は動きませんでした。
「まだ子供だったのに、哀れな」。そう思いはしましたが、心は凪いでいました。
人を憂う余裕が無かったと云えば、それだけの話でした。

隊長殿は、おばあさん龍にとどめを刺した事を翠の龍に謝りました。
翠の龍は、隊長殿の立場を思えば仕方のない事だと、責めませんでした。
お城の人々からすれば、おばあさん龍は突然襲い掛かってきた厄災でありました。
そして、隊長殿は人を守る為に仕事をしたに過ぎません。
きっと、誰も悪くはないのです。

それでも深く謝罪し悲しむ隊長殿に、龍はひとつお願いしました。
それは、宝物庫の「同胞たち」を故郷に連れ帰り、弔いたいという願いでした。
本来であれば、貴重な装備品を全て手放すことなどあり得ないでしょう。
しかし、守るべき王都は滅びました。主君もいなくなりました。
隊長殿は、もう必要ない物に執着する性格ではありませんでした。
それが償いになるのならと、快く宝物庫を開けてくれました。


誰も居なくなったお山から、翠の龍と薬師は去る事にしました。
龍と薬師にとって、お山は良い思い出も悲しい思い出も沢山詰まった場所でした。
しかし、もう誰も居ません。
悲しい墓標が並ぶだけの、悲しい場所になってしまいました。

お山を下りたところで、龍と薬師は別れました。
お互い元気で。いつかまた会おうと誓って。
それぞれが負った傷を癒す為の旅立ちでした。


それから、龍は宛てもなく歩き続けました。
風に吹かれるまま、気の向くままに、独り歩き続けました。
疲れれば静かな場所で眠り、路銀が必要な時は自分の背で育てた薬草や薬を売り。
そうやって、少しずつ少しずつ。深い傷を旅の空に癒されながら生きました。


ある日の事。
人の行き交う街で、路銀を稼ぐために薬を売っていた時でした。
龍に声をかける人物がありました。
聞き覚えのある声でした。
龍が振り向くと、そこには女性が一人、静かに立っていました。
勇者の少年と共に居た、大人の女性でした。

彼女は龍と再会できたことを喜び、また謝りました。
龍を不幸にしてしまって申し訳ないと。
しかし、龍の不幸と彼女は関係ありません。
龍は怒っていないし恨んでもいない事を告げ、そっと立ち去ろうとしました。
その龍の手を、女性は掴みました。

「もう一度、共に戦ってください」と。

女性はとても悔いていました。
恥も龍の冷たい視線も全てを被って尚、龍に縋りました。
彼女は本来、真っ直ぐで高潔な人物であったと龍は記憶していました。
そして、龍に対しても優しい人物であった事も。
結局、話だけでも聞く義理はあるだろうと。龍は彼女について行きました。


女性に案内された先は、洋館の一室でした。
洋館は女性のもので、王都が滅んでからはこの館に住んでいると云いました。
洋館には、見知った面々が揃っていました。
勇者と共に居た少女。あの頃からあまり変わっていないように見えました。
隊長殿と、彼に支えられるようにして椅子に掛ける司教様。
司教様の両脚は、治療はされたとはいえ、以前のように自由に動き回れるようにはならなかったようです。
それから、見知らぬ顔も。
街の女盗賊と、いかついパン屋の青年でした。
彼らがどんな縁で集まったのか、龍には分かりませんでしたし、興味もありませんでした。
ただ、かつての優しい人たちが元気そうにしているのを確認できただけ良しとしました。

館の主である女性が云うには、勇者の少年はあれから眠り続けているそうです。
今も館の上階で、安静にしているとの事でした。
龍は気付きませんでしたが、お城での一件から、既に3年が経過していました。

勇者が目を覚ましたら、共に魔王を斃す為に動いてほしいと。
彼らの主張は、ただそれだけでした。
龍としては、魔王なんてどうでもよくて。誰かの血が流れるのをこれ以上見たくないのが本音でした。
しかし、ここで龍の義理堅さと甘さが枷になりました。
自分に優しくしてくれた人たちの手を振り払う事が、どうしてもできませんでした。


龍たちがこれからどう動くかと話し合っている最中、階段の軋む音が響きました。
目を向けると、そこには一人の青年が立っていました。
3年間眠り続け、体だけが成長した、かつての少年勇者でした。
彼と長い間一緒にいたのであろう少女や女性は、勇者の目覚めに驚き、喜び。
彼の傍に駆け寄って、あれやこれやと言葉を交わしていました。
寝起きで虚ろだった青年の目が龍を捉えた際に「竜殺し」の目に変わったのを、龍は見逃しませんでした。

それから暫くは、青年となった勇者のリハビリに時間を費やしました。
長く昏睡状態だった体を鍛え直さなければ、到底魔王に太刀打ちできません。
主に隊長殿が剣の稽古をつけ、司教様が怪我や疲れを癒す役を担いました。
その訓練の間も、何気ない食事や街歩きの際も。
勇者の龍に対する態度は、3年前と何も変わっていませんでした。
寧ろ、自分に重傷を負わせて王都を滅ぼした龍の仲間だと、憎悪を募らせているようにも思えました。
この先、まともな旅ができるのか。龍は気が滅入るばかりでした。


いざ魔王討伐の旅に出てみると、龍の思っていたような過酷な道中にはなりませんでした。
襲ってくる魔物は、今や全員が自力で対処できます。
脚が不自由な司教様は、隊長殿が馬に乗せて歩いたので、然程大きな問題にはなりません。
人里での活動も、吹き曝しの野宿も。旅慣れた龍にとって、苦ではありませんでした。
龍にとって最も辛かったのは、やはり勇者の敵意でした。
少年の頃であれば、子供だからと目を瞑っていられたものですが、今はそうはいきません。
大人と同じ体格になった勇者の粗暴な態度と暴力は、何度も龍の心を折りかけました。
他の仲間たちが止めてくれなければ、そっと逃げ出していたかもしれません。

龍と勇者の仲は険悪なままでしたが、旅は続きました。
呵楽呵楽と詠うように、楽しい事も辛い事も代わる代わるに訪れました。
草原も、荒野も、雪原も、樹海も越えて。
呵楽呵楽。呵楽呵楽。


そして辿り着いたのは、大陸の西の果てでした。
大きな地図にもはっきりと描かれる、極端に大きな谷の向こう岸が、魔王の棲む場所でした。
谷は「大恐谷」や「大地の爪痕」などと呼ばれるほどに大きく、深く。
その底を知る者はいないと云われていました。

その大地がぱっくりと口を開けている上空を、龍は飛ぶのです。
背中に仲間たちを乗せ、果ての向こう側へと。
龍はこの為に声をかけられたのかもしれないと思いました。
谷の向こう側からは、絶えず負の風が吹いていて、まともな渡航手段が確立されていなかったからです。

龍は必死で飛びました。
そして、漸く対岸が見えました。
あと少し。もう少し。
龍と仲間たちは、逸る気持ちを抑えながら風に耐えました。
その時です。
谷底から伸びてきた大きな手に、龍の体ががっちりと掴まれてしまいました。

龍の体を掴む手は、黒く、長く、大きく。とても禍々しいものでした。
魔王の魔力がそうさせるのでしょうか。
谷底に溜まった「よくないもの」を集めて手の形にしたようなものが、勇者が来るのを拒んでいるようでした。
仲間たちは不安定な龍の背で、黒い手を振り払おうと武器や術を叩きつけました。
それでも、効果は見られませんでした。
黒い手は、龍を掴んだまま谷底へ引っ込んでいきます。
このままでは、全員谷底で潰れてしまうでしょう。

龍の判断は迅速でした。
仲間たちに浮遊の術をかけ、対岸へと風を吹かせました。
遠ざかっていく仲間たちを見送りながら、龍は谷底へ引き込まれて行きました。
最後に、こちらを見る勇者の顔が見えました。
彼は、嗤っていました。



──深淵に墜ちながら、私は少し安堵していた。これで終われるのだと。


 








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