Eno.534 玲沙  龍のお話 鎖と贄と - ひかりの森

!途中から少々の残酷表現が入ります!





翠の龍が喪失に嘆いてから、長い時が流れました。
大切な番と卵を喪った悲しみも、看病が続くおばあさん龍の体調も。
少しずつ、少しずつ癒えていきました。

薬師はずっとお山に留まってくれました。
おばあさん龍の病気が治るまで。翠の龍の心の傷が塞がるまで。
卵を奪われてしまった日の事を、薬師も悔いているようでした。

やがて、おばあさん龍の体調も回復し、少しずつ動けるようになりました。
以前のように、毒に焼かれる苦しみはもうありません。
頑張れば空だって飛べます。
翠の龍と薬師はとても喜びました。
それでも、まだまだ完治はしていません。
翠の龍は、薬の材料を探しに、交易の盛んな都へ赴きました。
翠の龍にとって良い思い出の無い都ですが、あれから随分経ちます。
きっと龍の事を覚えている人なんていないだろう。そう思っていました。


交易の都は、その日も沢山の人と物で賑わっていました。
翠の龍はいつものように人に化け、角を隠し、薬師に云われた材料を探しました。
果たして、材料はすぐに見つかりました。大きな市場では、大体の物は揃っているのです。
長居は無用と、お山に還ろうとした矢先。
翠の龍の目に、とある三人組が留まりました。

三人組は、少年がひとり。少女がひとり。そして、大人の女性がひとりでした。
彼らは軽く武装しているようでしたが、旅人や冒険者も多く集まる都では珍しくありません。
彼らは都の案内板と地図を見比べて、とても困っているように見えました。
聞こえてくる声からして、王都に行けなくなって手詰まりのようでした。

翠の龍は、都に来た際にそれとなく夜の中の様子を調べていました。
人の世は目まぐるしく変わります。
何か動乱の気配があれば、お山の住処に人を寄せ付けない結界を張ろうと思っていたからです。
お山で血が流されるのは、もう沢山でした。

今の世の中は、中々大変な事になっているようでした。
大陸の西の果てで、「魔王」と呼ばれる存在が目覚めたらしいのです。
魔王が目覚めた証拠に、大陸のあちこちで奇妙な姿の魔物が現れ始めました。
原生の動物や魔物とは完全に別種で、性質も極めて凶暴。
人里はどこも魔物の対処に手を焼いている状態でした。

人が沢山集まる王都では、お城の騎士や兵士たちが毎日のように魔物と戦っているようでした。
城壁を越えさせては、都に魔物を入れてしまっては、大変なことになります。
今はお城の兵士たちだけで対処できていますが、他の地域から魔物が渡ってきてしまっては、数が増えるばかりです。
その為に、王都へと続く道はどの方面も封鎖され、川を渡る橋すら使えなくなってしまいました。

目の前で悩む三人組は、どうしても王都に行かないといけない用事があるようでした。
しかし、陸路は塞がれ、他に取れる手段もないようです。
──川を越えるくらいなら、手助けしてもいいか。
翠の龍はそう考え、三人組に声をかけました。
それが、呪われた選択肢だったとも知らずに。

突然声をかけてきた翠の龍に、三人組はとても驚いたようでした。
けれど、王都へ渡る手段があると知って、すぐに協力してほしいと頼んできました。
川を渡るだけのお手伝い。龍はそう念を押して、三人組と都を出ました。


川辺に着いてみると、翠の龍は川を渡る手段が無い事に納得しました。
川幅は広く、深く、流れもそれなりに強く。舟の類も見当たりません。
橋が封鎖されてしまったら、人の足で渡るのは難しそうでした。
翠の龍は、三人組に浮遊の術をかけました。
宙に浮かぶ彼らに風を運び、対岸まであっという間に送り届けました。
これで仕事はおしまいです。翠の龍はお山へ帰ろうとしました。

そんな時でした。
川の対岸に送り出した三人組の元に、異形の魔物が襲い掛かりました。
彼らはすぐに応戦しましたが、物理的な攻撃はあまり効果があるように見えませんでした。
魔王の影響で出てきた魔物は、ある程度の衝撃に強いのだと、都の噂で聞いたのを思い出しました。
気が付くと、翠の龍は川を飛び、魔物目掛けて炎の術を使っていました。

魔物は妖術の炎に焼かれ、あっけなく炭になりました。
翠の龍は、三人組が無事だったので安堵すると同時に、しまったと思いました。
護身程度の術でしたが、人前で使いたくはありませんでした。
魔物に通用する攻撃手段を持つ者は、それだけで重宝されるからです。

案の定、三人組は翠の龍に力を貸してほしいと頼んできました。
三人の中には、魔法を使える人がいませんでした。
龍は断りましたが、せめて王都まで、王都で代わりの術師を見つけるまでと、押し切られてしまいました。

王都までの道中で、何度か魔物の襲撃がありました。
その度に三人組と翠の龍は戦い、退け、ほんの少しですが息を合わせる事ができるようになりました。
そんな折に、魔物の一撃が翠の龍を掠めた時。
龍の頭巾が弾かれ、隠していた角が見えてしまいました。
三人組はとても驚きました。
龍はこれ以上ない失態を犯したと思いました。
魔物を退けた後、慌てて頭巾を被り直しましたが、もう遅すぎました。

三人組の内、少女と大人の女性は龍に対して寛容でありました。
理解があり、他の種族や人間達と変わらずに接してくれました。
彼女たちは昔の山里の人々のように、優しい人でありました。
しかし、少年だけは違いました。
翠の龍を見る少年の目は、かつての。
山里に突然やってきた、最初の「竜殺し」と同じものでした。

それから、翠の龍に対する少年の態度は刺々しいものになりました。
幼馴染の少女が何度も嗜めますが、彼の態度は変わりませんでした。
翠の龍は、それも仕方のない事だと思いました。
人に化けて人の真似をする異種族。きっと、気持ちのいいものではないのでしょう。
それに、人間とは「そういうもの」だと。どこか諦めの気持ちがあったからです。


王都に辿り着いた三人組と翠の龍は、暫し閉口しました。
多くの人が行き交っていたであろう都の入り口は、壁のような大きな扉で閉ざされていました。
三人組と翠の龍は、龍の術で城壁を跳び越えて入るほかありませんでした。
一行は閑散とした都の中を歩きました。
普段は沢山の人で賑わっているであろう大通りも、市場も、広場も。
どこにも活気がありません。


お城の門を守る兵士に、三人組は王様に会わせてほしいと頼み込んでいました。
兵士は厳しく、素っ気なく断りましたが、少年が「女神からの神託を受けた勇者だ」と云うと、態度を一変。
すぐに伝えてくるから待っていろと言い残し、慌ただしくお城の中へ消えて行きました。
女神からの神託。翠の龍は、そんなものは知りません。聞いた事もありません。
きっと、遠い場所の土着の信仰なんだろうと思いました。

やがて、兵士が戻ってくると、三人組と翠の龍は王様のいる謁見の間へと通されました。
翠の龍は、長い廊下を歩いている間、ずっと胸騒ぎを覚えていました。
ここへ来てはいけない。ここにいてはいけない。早く逃げないと。
ずっと、大勢の声でそう囁かれているような。とても落ち着かない気分でした。

謁見の間では、王様が玉座で待っていました。
人間の王様というものは、いつも落ち着いていて威厳のある人物だと、翠の龍は認識していました。
しかし、目の前の王様は、とても疲れたような、憔悴したような印象を受けました。
王都の外は魔物だらけ。王都へ続く道を閉ざした今、物流は止まり民は不安を抱えています。
当然かもしれません。

王様は、少年が勇者だと知っても、どこか憂いを消せないようでした。
というのも、都の近くで暴れていた魔物を討伐しに兵士たちを向かわせた際に。
王様の大切な一人娘であるお姫様が、魔物の親玉に攫われてしまったというのです。
先陣切って隊を鼓舞し、自ら剣を取って戦うとても強いお姫様だったようですが、魔王の魔物には及ばなかったようです。
勇者は、すぐにお姫様を助けに行くと云いました。
それには他の仲間達も同意しました。
ですが、翠の龍にとって大きな誤算がありました。

お城は今や、魔物に傷付けられた人たちで溢れ返っていました。
兵士も、街の人も、外からやって来て命からがら助かった旅人や商人も。
お城の大広間にずらりと寝かされ、手当てを施され、痛みに呻きながら回復を待つだけの状態でした。
ですから、お城には勇者と一緒に魔物と戦える人手も、優秀な魔術師や療術師も足りていませんでした。
そこで、勇者は云いました。

「仲間に龍族がいるから、その生き血を使って皆を治せばいい」と。

翠の龍は沈黙していましたが、勇者の少年に頭巾を剥ぎ取られてしまえばもう逃れられません。
龍の角を見たお城の人達はとても驚き、大いに喜びました。
彼らの顔は、彼らの目は、かつてお山を襲った人間たちのそれでした。
貴重な薬の材料が、目の前に。
翠の龍は恐怖に震えましたが、王様や他の人々から「助けてくれ」と云われてしまえば、断れませんでした。
そうして龍は三人組と別れ、お城の奥へと連れて行かれたのでした。


翠の龍が通された部屋は、とても広いホールのようになっていました。
とても高い天井には、光を零すステンドグラス。
その色を映す床には、大きな大きな魔法陣。
大掛かりな魔術を使うための部屋なのだろうと、龍はぼんやり思いました。
部屋を忙しそうに行き来しているのは、お城の魔術師たちでした。
準備が終わるまで待機しているように云われた龍は、部屋の隅で暗い気持ちになっていました。

やがて、準備が整ったのでしょう。
翠の龍は呼ばれ、変身を解くように云われました。
龍は云われた通りに術を解き、本来の大きな姿になりました。
部屋は大きかったので、龍が空間を埋め尽くす事にはなりませんでした。

龍の胴体や手足に、長くて頑丈そうな鎖が繋がれました。
龍が暴れても大丈夫なようにする、魔法の鎖でした。
次に、龍の鱗が剥がされていきました。
べりべりと。ぶちぶちと。大きな鱗も、小さな鱗も、剥がされていきました。
鱗がなくなった皮に、大きな鉄の管が打ち込まれました。

酷い痛みと衝撃が、龍を襲いました。
龍は堪らずに叫び、体を揺すりました。
しかし、誰も聞いてくれません。誰も止めてくれません。
鎖のじゃらじゃら鳴る音が響くだけです。

打ち込まれた管から、鮮烈な紅が流れました。
魔術師たちはそれを容器に溜めながら、どこか恍惚としていました。
龍の生き血は、本来とても貴重なものです。
万病を治す薬に、瀕死の患者も元気になる薬に、不老不死の妙薬に。
研究を重ねてきたのだろう魔術師たちにとっては、夢のような光景だったのでしょう。

龍を穿つ管を増やし、血を搾り取りながら。
鱗はどんどん剥がされて、皮も剥ぎ取られて、爪も牙も抜かれました。
柔らかな鬣も、長く美しい髭も、龍の背で育てていたおばあさん龍の為の薬草も。
ありとあらゆる個所を「素材」として採取されました。
それでも、角だけは傷付けられませんでした。
この龍は、角を折られれば死んでしまいます。その事が文献に残っていたのでしょう。
角だけは傷付けられることなく、龍は拷問か処刑に等しい時間を過ごしました。

やがて、陽が沈んでステンドグラスの光が届かなくなった頃。
龍の体を穿ち、切り刻む時間が終わりました。
龍は泣き叫ぶ気力も体力も残っておらず、床に伏したまま動けませんでした。
ただ、自分の真っ赤に染まった体から鉄の管が抜かれ、鎖のついた枷が外されていくのを見ているだけでした。
自分の体がどうなっているのか、龍は知りたくありませんでした。

龍は療術師の治療を受け、何とか動けるようになりました。
人の姿になった龍は、客間に通されました。
「治療が楽だから」という理由で渡された頼りない薄布一枚を纏い、逃げられないよう片手と片足を鎖で繋がれ。
「素材」を提供するのに必要な体力を戻すだけの食事を与えられ、龍はベッドに沈みました。
きっと、明日も同じ目に遭うのだろう。龍は泣きたくなりました。

傷だらけの体を横たえる龍の元に、複数の足音がやってきました。
何の用だろうと体を起こした龍の前には、何人かの見知らぬ人たちが立っていました。
鎧を取った、あるいはローブを脱いだお城の人たちでした。
彼らは困惑する龍に手を伸ばしました。

手を。手を。手を。手を。手を。手を。手を。手を。

欲望のままに、伸ばしました。

戦いに疲れた彼らにとって、今の龍は格好の欲望の捌け口でした。
本来は「絶対的な強者」である龍族を征服し、好き勝手にできるのです。
彼らを圧し潰していた不安や恐怖は、容易く色欲の花を咲かせるに至りました。
龍は抵抗しましたが、弱った体ではどうにもなりません。
血の滲む包帯と薄布一枚では、満足に身を守る事もできません。
細い手足に絡みついた鎖が、耳障りな音を立てるだけでした。


翌朝、眠る前よりも酷い状態になった龍を、龍と会話しに来た教会の司教様が見つけました。
司教様は慈悲深く、とても美しく、龍に対しても優しい人でした。
司教様は龍に沢山、沢山謝りました。
民を助ける為に身を削ってくれている龍に、なんて酷い仕打ちを、と。
司教様の命令で、龍から抜く血は少しだけに、他の部位は奪ってはいけない事になりました。
そして、夜は龍をそっとしておく事に決まりました。
司教様は、龍にとって地獄の中に見た光となりました。

その日も龍は体に管を通されましたが、一ヶ所だけで済みました。
魔術師たちは残念そうにしていましたが、苦しむ龍に心を痛めていた人も少しだけいたようでした。
血を抜かれている間、龍に謝罪や労いの言葉を囁いてくれる人もいました。
人に痛めつけられ、身も心も蹂躙された龍でしたが、人の優しさに触れる事で「また頑張ってみよう」と思えました。
結局、龍は人を嫌いきれないのでした。

日が沈んで血の提供を終えた龍は、昨日とは違う客間に通されました。
相変わらず鎖で繋がれはしましたが、司教様のおかげでしょうか。不思議と安心できました。
ゆっくりと食事を摂った龍の元に、司教様ともう一人。落ち着いた雰囲気の男性が訪ねてきました。
男性はお城の騎士たちの中で一番強くて偉い人で、司教様からは「隊長殿」と呼ばれていました。
隊長殿と司教様は、とても仲が良さそうに見えました。

それから暫く、龍と二人はいろんな事を話しました。
龍に対しての謝罪や感謝から始まり、国の内情や魔物の脅威、お姫様の心配、王様の苦悩。
それから、兵士たちや都の人々の話。教会の話。龍の棲んでいるお山の話。薬草や薬の話。
隊長殿や司教様が子供の頃の話。遠征で見つけた綺麗な花の話。日々の苦悩と幸せの話。
日付が変わりそうな時間になる頃には、龍と二人はすっかり打ち解けていました。
龍は、鎖に繋がれ血を抜かれるのは辛いけれど、彼らの為なら我慢できる気がしました。


3日目の夕刻、龍はほんの僅かな間だけ、自由な時間を得る事ができました。
気分転換にお城の中を散歩していた龍は、宝物庫の鍵が開いているのに気が付きました。
龍はとても懐かしい気配と、とても嫌な予感を同時に覚えました。
そして、誘われるように宝物庫の中へ入りました。

そこに広がっていた光景に、龍は絶句しました。
父が、母が、番が、他の同族たちの姿がありました。
それぞれ剣に、杖に、鎧に、盾に──人に使われる武器や防具に作り替えられた姿で。
本来は、絢爛豪華で立派な宝物庫なのでしょう。
そこに飾られた武器たちも、見事なものだったのでしょう。
しかし、龍にとっては処刑の後の晒し首にしか見えませんでした。

龍は急いで客間に駆け戻り、人知れず涙を流しました。
とても、とても悲しい再会でした。


翠の龍が鎖に繋がれ、4日が経った夜の事。
王都を酷い嵐が襲いました。
慟哭のような風が吹き荒れ、優しさの欠片も無い雨が降り注ぎました。
そして、お城に警報が鳴り響きました。

「龍が来た」と。

翠の龍には分かりました。
おばあさん龍です。おばあさん龍が、帰らぬ孫を探しに来たのです。
お城に囚われ、酷い仕打ちを受けた孫を取り返しに来たのです。

おばあさん龍は、まだ全力で戦えるような状態ではありません。
それでも、必死に孫を呼び、孫を隠そうとする人間たちに報復しました。
城壁を壊し、雷をいくつも落とし、向かってくる兵士たちを薙ぎ倒していきました。
「返せ。私の可愛い孫を返せ」と。
おばあさん龍はそれだけを叫んでいましたが、龍の言葉が分からない兵士たちは、龍が怒り狂っていると思ったのでした。

客間で司教様から治療を受けていた龍は、おばあさん龍を落ち着かせる為に部屋を出ようとしました。
そこに、ものすごい地響きと衝撃が入りました。
おばあさん龍がお城に体当たりでもしたのでしょうか。
天井が崩れ、司教様の上に落ちました。
司教様は両脚が瓦礫の下敷きになってしまいました。
龍は必死で瓦礫を退けて、司教様を抱えて走りました。
早く、早く。おばあさん龍の元へ。孫は無事だと教えなければ。


漸く外に出た翠の龍が見たものは。
いつの間に帰って来たのか、お姫様を助けに行ったはずの勇者と。
それに対峙するおばあさん龍と。
険しく、悲しそうな顔をした隊長殿でした。

相当な無理をしたのでしょう。おばあさん龍はボロボロでした。
そこへ勇者の剣が突き刺さり。
隊長殿が、おばあさん龍の首を切り落としました。

翠の龍は、それを見ている事しかできませんでした。
抱えていた司教様が泣いていた事も、その体重さえ分からなくなりました。
そして、お山に棲む龍が自分だけになってしまった事を知るのでした。



──ひとつ得れば、ひとつ喪うとして。私は、あといくつ喪えばいいのでしょうか。



 








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