Eno.303 ヌル  独白 - ひだまりの高原


「……今日で、21日目くらいでしょうか」


誰もいない部屋に自分の声だけが響く。
ここには時計も何もないため、人が来るタイミングと自分の体内時計を頼りに過ごした日々を数えていた。
数えた所で意味などないが、日課のようなものが欲しくて。

目が醒めてから、今の今まで
自分は誰なのか、どうしてここにいるのか、何一つ分からず
誰も教えてはくれない。

ここには数多くの白衣を来た人がいるのに
話しかけても会話をしてくれない。
唯一会話をしてくれる人もいたけれど
観察が目的だそうで、知りたいことは何一つ教えてはくれなかった。

数時間前に行われた検査の時も
懲りずにいくつか尋ねてみたが全て無視された。
…無視され続けるのは結構傷つく。

ただ名前だけは教えてくれた。「ヌル」と言うそうだ。
いつの間にか右耳につけられたイヤリングのようなものにもそう書いてあるらしい。
…本当にそれが本名なのかも分からないし、誰もその名前では呼んでくれないけれど。
アレとか、ソレとか、化物とか、怪物とか、そのようなものばかりで。


「(…あの呼ばれ方はとても不愉快です)」


誰も呼んでくれないので、自分で呼ぶことにした。
そうすることで自分自身に対する自信をつけたかった。
名前以外、自分には何もなかったから。


「(そういえば、献体者とも呼ばれましたが)」



「(…ヌルは生きているのに、おかしな呼び方です)」


それは生きていない者を指すものだ。
嫌な想像をいくつもしてしまうので深く考えるのはやめた。



自分自身のことは何も覚えていないが
不思議と様々な知識だけは持っていて。
だからか、記憶がなくともパニックになることはなかった。
ただそれをどこで知ったのかまでは思い出せないけれど。



ずっと頭に靄が掛かっているような感覚だった。
小さく溜息をつくと、黒い尾が不満げに揺れる。
どれだけ思い出そうとしても
きっかけもない状態では暗中模索もいいところだ。

もう一度溜息をついて、片手で尾をそっと掴み胸元の方に持っていく。
これが何なのかも分からないが
こうやって手で触っていると少し安心する。

そんなことをしながらじっと過ごしていると
じわじわと二の腕に巻かれた包帯の下に痛みが広がっていく。

痛みを感じていないかのように言われたこともあるが
そんなことはなく、ただ痛みを感じるのに時間がかかるだけだ。

現にこうやって数時間前の切開された箇所が
今更痛みを訴えてくる。
…そういう体質なのだろうか。

毎日毎日、検査だと言われて血や肉片を取られたり
身体測定をされたり、何かの注射を打たれたり…身体に様々なことをされる。
まるで何かを確かめられているようだった。

なんでこんなことをされているのかも分からないが
抵抗したところでろくなことにならない気がして
今の所はされるがまま。


「(そもそも、あれは本当に検査なんでしょうか?)」



「(…ヌルには実験のように思えますが)」



「(でも、そんなことして何になるんでしょう?)」


何が目的なのか考えてもさっぱり分からない。
白衣の人がいるためここは病院なのかと思ったこともあったが
少なくとも治療されているようには思えないので
おそらく違うのだろう。


「…協力はするので、痛いことだけはやめてもらえると嬉しいんですけどね」


どうせどこかで誰か監視しているんだろうなと思って
ぼやいてみるが、返事はない。

ずきずきと痛む二の腕をぎゅっと押さえながら
本日三度目の溜息をついた。








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