Eno.259 カヴィア=エディブル 愛情は腹の中に - あざやかな花園
────吐いて、辛くて、苦しんで。
腐肉の臭いがして、鉄の味がして、それすら何も思わなくて。
それがこの貧民街 での、ごく一般的な人間だ。
だから、俺はその点、他の人より恵まれていたんだろう。
……信頼できる姉がいたから。
縋り付く、何かがあったから。
ベニヤ板で出来た家の前で、また吐いた。
地面に落ちた粘液性のある黄色の液体を見て
『あぁ、また姉貴が心配してしまう。大丈夫なのに。俺は大丈夫なのに』
なんてどうでもいいことを、ぼんやり思っていた。
腕で口を拭う。
吐いたばかりだから燃えるように熱くて、思わずそれを振り払った。
そうして飛んだ液体は、近くを通り過ぎようとしていた猫にかかった。
それは『ギャッ』と醜い悲鳴をあげて、どこかへノロノロと去って行った。
──自分に似てるな、と思った。
小さなその子の背を、見えなくなるまで見届けた。
そして振り返って、扉の様相を保っているだけの板版を押して、そっと家の中に入った。
そっと耳に入ってきたその声は、優しい姉の声だった。
少しだけかさついてて、それでも暖かくて──。
心をゆっくりと溶かされて、泣かされてしまいそうな声。
小さい声で返して、彼女の隣に座った。
ちら、と、床に伏している姉を見る。
…………顔は青ざめていて、唇は震えていた。
たまにケホ、と咳き込んでは、口の端から血があふれ出している。
表情自体はいつも通りの無表情面だけど、
きっと俺には想像もつかないほど苦しくて辛いんだろうな、と思った。
含みを持たせたその言い方が、どうにも喉に引っかかった。
それでも、強く言及なんてできなかったから。
なんて、無難な返事しか出来なかった。
それを、ずっと後悔している。
翌日、姉は死んだ。
口元から不可思議な液体を漏らして、苦痛に顔を歪ませて。
手足を放り投げて、体中から生気を無くして。
焦点が合ってない目を、空に向けて。
見た瞬間、色んな死体が脳裏をよぎった。
汚らしい男たちの慰めの道具にされていた、生前は美しかったであろう女の死体。
体中穴ぼこだらけになっていた、生前は優しかったであろう男の死体。
まるでボロ雑巾のようにゴミ箱へ放り込まれていた、生前は無邪気だったであろう少女の死体。
そうして、もう一度姉貴の死体を見て。
俺は、泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
喚いて、叫んで、喉を壊して。
────ふと、思った。
彼女を食べてしまえば。
俺の腹の中に入れてしまえば。
慰めの道具になんかされないんじゃないか。
体中穴ぼこだらけになんかされないんじゃないか。
ボロ雑巾のようにゴミ箱に放り込まれることなんかないんじゃないか。
俺が、俺が彼女を喰らいさえすれば────。
お腹の奥が、くぅ、と鳴った。
…………だから、俺は怖かったんだ。
あまりにも、彼女が似ていたから。
その立ち振る舞いが、口調が、表情が、何もかもが。
──姉貴に似てて、怖かった。
肌が冷たかった。それだけで恐ろしかった。
優しく微笑んだ。それだけで心臓が握りつぶされた。
俺にその声を向けた。それだけで……それだけで、死にそうになった。
泣きたくて、叫びだしたくて、逃げ出したくなった。
それでも、彼女は俺に目を向けた。
冷静な目を、優しい目を、俺に向けた。
……それに、心の奥を温められなかった、なんて嘘は吐けない。
少し。
少しだけ、俺を温めてくれた。
それだけで、俺はもう十分なんだ。
────だから。
……彼女が悩んでいるなら。
苦しんでいるなら。
俺は何かをしてみたい。
もし叶うのなら────手を、差し伸べてみたい。
腐肉の臭いがして、鉄の味がして、それすら何も思わなくて。
それがこの
だから、俺はその点、他の人より恵まれていたんだろう。
……信頼できる姉がいたから。
縋り付く、何かがあったから。
ベニヤ板で出来た家の前で、また吐いた。
地面に落ちた粘液性のある黄色の液体を見て
『あぁ、また姉貴が心配してしまう。大丈夫なのに。俺は大丈夫なのに』
なんてどうでもいいことを、ぼんやり思っていた。
腕で口を拭う。
吐いたばかりだから燃えるように熱くて、思わずそれを振り払った。
そうして飛んだ液体は、近くを通り過ぎようとしていた猫にかかった。
それは『ギャッ』と醜い悲鳴をあげて、どこかへノロノロと去って行った。
──自分に似てるな、と思った。
小さなその子の背を、見えなくなるまで見届けた。
そして振り返って、扉の様相を保っているだけの板版を押して、そっと家の中に入った。
???
「────カヴィア、お帰りなさい。大丈夫でしたか?」
「────カヴィア、お帰りなさい。大丈夫でしたか?」
そっと耳に入ってきたその声は、優しい姉の声だった。
少しだけかさついてて、それでも暖かくて──。
心をゆっくりと溶かされて、泣かされてしまいそうな声。
カヴィア
「……うん、大丈夫」
「……うん、大丈夫」
小さい声で返して、彼女の隣に座った。
カヴィア
「姉貴こそ、大丈夫? 気分はどんな感じ?」
「姉貴こそ、大丈夫? 気分はどんな感じ?」
ちら、と、床に伏している姉を見る。
…………顔は青ざめていて、唇は震えていた。
たまにケホ、と咳き込んでは、口の端から血があふれ出している。
表情自体はいつも通りの無表情面だけど、
きっと俺には想像もつかないほど苦しくて辛いんだろうな、と思った。
???
「概 ね、良好です。……えぇ、大丈夫です」
「
含みを持たせたその言い方が、どうにも喉に引っかかった。
それでも、強く言及なんてできなかったから。
カヴィア
「…………そっ、か。分かった」
「…………そっ、か。分かった」
なんて、無難な返事しか出来なかった。
それを、ずっと後悔している。
翌日、姉は死んだ。
口元から不可思議な液体を漏らして、苦痛に顔を歪ませて。
手足を放り投げて、体中から生気を無くして。
焦点が合ってない目を、空に向けて。
見た瞬間、色んな死体が脳裏をよぎった。
汚らしい男たちの慰めの道具にされていた、生前は美しかったであろう女の死体。
体中穴ぼこだらけになっていた、生前は優しかったであろう男の死体。
まるでボロ雑巾のようにゴミ箱へ放り込まれていた、生前は無邪気だったであろう少女の死体。
そうして、もう一度姉貴の死体を見て。
俺は、泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
喚いて、叫んで、喉を壊して。
────ふと、思った。
彼女を食べてしまえば。
俺の腹の中に入れてしまえば。
慰めの道具になんかされないんじゃないか。
体中穴ぼこだらけになんかされないんじゃないか。
ボロ雑巾のようにゴミ箱に放り込まれることなんかないんじゃないか。
俺が、俺が彼女を喰らいさえすれば────。
お腹の奥が、くぅ、と鳴った。
…………だから、俺は怖かったんだ。
あまりにも、彼女が似ていたから。
その立ち振る舞いが、口調が、表情が、何もかもが。
──姉貴に似てて、怖かった。
肌が冷たかった。それだけで恐ろしかった。
優しく微笑んだ。それだけで心臓が握りつぶされた。
俺にその声を向けた。それだけで……それだけで、死にそうになった。
泣きたくて、叫びだしたくて、逃げ出したくなった。
それでも、彼女は俺に目を向けた。
冷静な目を、優しい目を、俺に向けた。
……それに、心の奥を温められなかった、なんて嘘は吐けない。
少し。
少しだけ、俺を温めてくれた。
それだけで、俺はもう十分なんだ。
────だから。
……彼女が悩んでいるなら。
苦しんでいるなら。
俺は何かをしてみたい。
もし叶うのなら────手を、差し伸べてみたい。
カヴィア
「…………なんて、傲慢すぎるか、アハハ……」
「…………なんて、傲慢すぎるか、アハハ……」