Eno.534 玲沙  龍のお話 番と卵と - ひかりの森

お山での悲しい戦いから、時が流れました。
お山の龍たちはその殆どがお山から出て行き、残ったのは番の龍と、そのおばあさん龍だけになりました。
里の人々も、両手で数えられるくらいの数になりました。

ヒドラの毒の威力は凄まじく、毒が撒かれた土壌は汚染され、毒草しか育たなくなりました。
毒を受けたおばあさん龍も、その背で育つ植物は毒草ばかりになりました。
翠の龍はとても悲しくなりました。
おばあさん龍の背中からは、怪我や病気に効く優しい薬草が沢山生えていたからです。

翠の龍は、お山の土と水と、おばあさん龍の毒が浄化されるように、毎日祈りを込めて踊りました。
雨を呼び、穢れを洗い流し、浄化する。龍の特別な踊りでした。
そうして頑張った結果、お山は少しずつ豊かになっていきました。
けれども、おばあさん龍の痛みは取れませんでした。

番の龍は、二匹で薬の勉強をしました。
お山に生えている薬草や、その周辺から採れるもので、おばあさん龍の毒を取ろうと考えたのです。
おばあさん龍は長生きでしたので、薬に関する知識は誰よりも豊富でした。
二匹はおばあさん龍と、里に残った人々から、沢山の事を学びました。
そうして作った薬を、少しずつ試してはおばあさん龍の看病をしていました。


ある日、山里に一人の旅人が訪れました。
白い髪に白い肌、真っ赤な目をした旅人は、薬を作って売り歩く薬師でした。
薬師はどこか遠くから来たようで、珍しい薬や材料を沢山持っていました。
龍たちはおばあさん龍のことを薬師に相談しました。
薬師は龍にも動じずに、真剣に取り合ってくれました。
薬師もまた、人に化ける身だったからです。

薬師はとても親切でした。
自分の知り得る知識も、持っていた薬も、惜しまずに与えてくれました。
薬師が山を訪れて数日が経つ頃には、龍たちとすっかり仲良くなりました。
彼もまた、人外の孤独を知る人だったのでしょう。

薬師はおばあさん龍の様子を見ながら、手持ちの薬を試していきました。
良い効果が出るのか、逆効果なのか、慎重にじっくりと調べては薬を変えて。
二匹の龍も一生懸命に手伝い、学んでいきました。
そうして満月と新月が何度か訪れ、漸くおばあさん龍に合う薬が見つかりました。

薬師の云う事には、その薬の材料はお山では手に入らないのだと。
少し遠くにある、交易が盛んな都に行けば売られているのだと。
二匹の龍は躊躇いましたが、意を決して人の都へ行くことにしました。

都へは、紅の龍が行くことになりました。
紅の龍は社交的な性格で物怖じすることがあまりなく、人に紛れても大丈夫だろうと思ったからです。
変化術で人に化け、大きな頭巾で角を隠し、薬師に薬の材料を書いた紙を貰って。
翠の龍の鱗で作ったお守りを携えて。
できるだけ早く帰るからと約束して、紅の龍はお山を下って行きました。
残された翠の龍は、番の心配をしながらおばあさん龍の看病を続けました。


紅の龍は、帰ってきませんでした。


おばあさん龍の体調が少しずつ良くなっていっても。
薬師の知識を翠の龍がすっかり吸収しても。
いくら待っても、都へ行った龍は帰ってきませんでした。

翠の龍は、おばあさん龍の看病を薬師に任せ、自分で探しに行くことにしました。
番と、薬の材料を。


都へ辿り着いた翠の龍は、市場で売られていた薬の材料を見つけました。
難なく見つけられたので、紅の龍もちゃんと買えたのだろうと思いました。
それならば、何故帰って来ないのでしょう。
都に長居する理由は無い筈です。

街の中を彷徨っているうちに、翠の龍は噂を聞きました。

「最近討伐された赤い龍」。
「人の中に紛れ込んでいた龍」。
「見事な角と鱗が高値で売れた」。
「緑色の宝石も持っていた」。

翠の龍は、頭の中が真っ白になりました。
世界がぐるぐる回って、色を失くして、何が何だか分からなくなって。
気が付けば、お山へ帰り着いていました。

お山では、おばあさん龍と薬師が待っていました。
翠の龍は、都で聞いた事をすべて話して聞かせました。
おばあさん龍は静かに悲しみ、薬師は番を亡くした翠の龍を憐れみました。
翠の龍は、鱗を震わせて泣きました。
いつまでも、いつまでも、泣きました。


それから季節が巡り。
翠の龍は、卵をひとつ、産み落としました。
それはもういない番との間にできた、たったひとつの卵でした。
翠の龍は、この卵だけは守り抜こうと思いました。
番との繋がりは、もうこの小さな命しか残っていないのだからと。

翠の龍はお山の奥深く、里の人々でも分からないような場所で卵を抱えました。
時々おばあさん龍の看病に行く以外は、ずっと卵の傍にいました。
薬師も、あれからずっとお山にいてくれました。
翠の龍は、喪失を悲しみながらも立ち上がろうとしていました。

そんなある日の事です。
薬師が薬の材料を仕入れるために、お山から離れていた時でした。
卵を抱えていた龍に、突然の閃光と爆音が襲いました。
光に目を焼かれ、音に耳を劈かれた龍は、何が起きたのかも分からないまま混乱しました。
何も見えない。何も聞こえない。
それでも、暴れれば卵を潰してしまいます。
龍は目と耳が回復するまで、じっと耐え忍びました。

龍の目に光が戻った時。
抱えていた筈の卵は、すっかり消えていました。

龍は焦りました。
龍は混乱しました。
卵は何処へ? 先程まで抱えていた私の卵は何処へ?

周囲を見回した龍は、地面に残された足跡と、周囲に漂う硝煙に気付きました。
そして、漸く理解しました。
卵は、人間に奪われてしまったのだと。

龍は嘆きました。龍は怒りました。
龍はお山を飛び出し、里へ、里の向こうの都へと飛んで行きました。
卵の気配を追って。略奪者の痕跡を辿って。

龍が辿り着いた都は、かつてお山を襲った兵士たちがいた都でした。
あれからそれなりの歳月が流れましたが、都の人の龍に対する認識は変わっていないようでした。
都合のいい道具。素材。それだけ。

龍は人に化けて都中を探し回りました。
正直な所、略奪した人間の事はどうでもよくて、卵だけ無事であればいいと思っていました。
中心街にて、卵の情報は出回っていました。

「長く病に臥せっていた王妃様が、龍の卵を召し上がった」。
「王妃様の病はたちまちのうちに治った」。
「卵を持ち帰った勇者を讃え──」

龍は眩暈がしました。
路地裏の暗がりで、膝を付いて。頭を抱えて蹲り。カタカタと震えていました。
人間達の都合も分かります。
王族は、一定の大きさの集団にとってとても大切な存在なのでしょう。
その「大切」を守る為に、取り得る手段を取ったのでしょう。
結果として、龍の「大切」は奪われてしまいました。

龍はもう怒りませんでした。
そんな気力も湧かないくらい、悲しくて、虚しくて、何も考えられなくなっていました。
お山に戻った龍を、事情を知った薬師とおばあさん龍が迎えました。

翠の龍は、あれだけ大切にしていた卵さえ守る事ができませんでした。
龍は嘆いて、嘆いて、喉が潰れるまで泣き叫びました。
そうする事しか、できませんでした。




──私の卵の在処を「勇者」に教えたのは、里の人間だった。
  古の盟約は、あの頃の山里は、長い時の中で変わってしまった。



 








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