Eno.435 トリサ  Ⅴ:『奇跡』について - はじまりの場所

1日半、離れただけのはずだった。
森でクマに襲われて、回りの人に助けてもらってなんとか突破したり、拠点で知り合ったアンデッドの医療兵の人とお話したり。武器を作ったり、料理ができず素材のまま食べたり、そもそも火を起こすための木材が無かったり。起きたことを書こうとしても、書ききれない。
賑やかな内は良かった。独りの寂しさを忘れられた。けれど、そこから離れて殆ど人の声が聞こえなくなって、物凄く心細かった。霧の中、逃げるように眠った独りの夜はこれからも忘れることはないのだろう。
拠点に帰ってきたときの安心感といったら。いきなり独りで遠出するのは無謀だったと痛感した。暫くは武器の調達やランドラの花壇作業を見守ることにしよう。

あとペテンにちゃんと食えと料理をもらったので、これもどうにかしなきゃ。
なんなら花もたくさんもらって……
もしかしなくても、手が足りないのでは?





―― 一人きりの夜、私は孤独を感じた。



<関わった人たち>
■カタナシ(小鳥遊さん)
アンデッドの医療兵。衛生的に大丈夫なのだろうか、と疑問になったが徹底的に管理をしているので大丈夫そう。注射や絆創膏について教えてもらった。
一度死んで、託されるようにして蘇ったらしい。死んだときのことも覚えていて、死ぬ恐怖を理解したからこそ、前を向いて歩いていくのだと。とても眩しい人だな、と思った。
私も、命を助けてくれた恩人が居るから。私は死んでいないけど、少し似ていると思った。恩に報いるために、私も頑張ろうと思う。


■クラリス、ぽぶり
クマ退治のプロフェッショナルかもしれない。


■ヲイチ
妖精さんのおうちで、中にはたくさんの妖精さんがいるらしい。
とっても凄い妖精さんで、食材を入れると料理になって出してくれるらしい。妖精さんって凄い。私よりずっと器用。
ところで、池に住む水の妖精さんみたいな無茶ぶりはしないのかな。


■クオーレ
ランドラの料理を振る舞ってくれた。意外と根菜のそれで美味しい。
味付けもシンプルであそこまで美味しくなるんだな、と感心した。
食べ終わった後、顔色悪い奴がこっちのことをじーっと見てた。気のせいということにした。






―― 少し前のこと。


ティカ
「……気になるんですかぁ? あのパン屋さんが仰ってたことぉ。
 パンの盗難があった犯人でも捕まえに行きます?」

テラート
「うーん……」

テラート
「私だったらパンを渡す代わりに働き手として雇うわ」

ティカ
「はあ?」



テラート
「パンを1つ盗まれたのなら、パンを100個売らなくちゃ」

ティカ
「あの、ですから何の話ですか?」

テラート
「あぁ、2つ盗まれたから200個ね。ティカはどう思う?」

ティカ
すみません、これは何を問われているんですか?



ティカ
「…………」

ティカ
「……盗まれたわりには店主がさほど怒りを覚えておらず、
 軽い出来事として捕らえていたように見えた、でしょうか?」

テラート
「ちょっと違う」

ティカ
ですからこれは本当に何を問われているんですか!?




路地裏をティカとテラートが歩く。2人はこの街の教会に所属するシスターだ。
ティカは2年前にこの街にやってきて、テラートと行動を共にするようになった。振り回されることが多いが、基本的には彼女の傍に常に在り、行動する。テラートという人物は5歳のときに教会に捨てられた……のだが、その事実に全く気付かずふわふわほわほわと今を過ごしている。


ティカ
「……パンはそもそも盗まれていなかったとでも言いたいのでしょうか?」

テラート
「それはないわ。だって、パン屋さんは私が盗まれただけのお金を支払って
 ありがたく受け取っていたわ。申し訳ないからーって、
 次のパン代を2つ分無料にしてくれるって言ってくれたけど」

ティカ
「あぁ、『返さなかった』と。
 盗まれたのであれば、取り返したから必要ないと返す」

テラート
「そう、だから盗みは起きた。
 けれど、そう。そうなのよ。盗まれたのはたった一回なのよ」

ティカ
「…………?」



テラートの駆ける足が速くなり、ティカがそれに続く。
ティカは念のため銀の短剣は常に抜いて、テラートのやや後方に位置しておく。短剣は周囲に対していつでも斬りかかれるとアピールし、襲われないようにするためだ。
人の気配はある。見られてもいる。けれど、襲ってくる者はいない。これで襲ってくるのであれば、相当な馬鹿であるが。


テラート
「…………―― !」

テラート
あなた大丈夫!? ねえ!?

ティカ
「(……あぁ、この子はもう助かりませんね)」



そうして路上に倒れ伏す、まだ10歳くらいであろう女の子を見つけた。
ボロ布を身に纏っているが、その布は所々紅い染みを作っている。彼女が犯人かどうかは分からないが、テラートは何かを確信したように駆け始めた。

だけど、ティカには分かるのだ。
それが、助からない命だと。手遅れで、死ぬ定めにあるのだと。


ティカ
「テラート。
 その子供、もう助かりませんよ」

テラート
「…………」

ティカ
「テラート。それは助かりません」

テラート
「…………」

ティカ
「テラート、」

テラート
―― 絶対に助けるから

ティカ
「―― !?」



威圧感すら感じて、シスター服の女の身体が跳ねた。


テラート
「誰が決めた。誰がこの子を助けられないって決めた。
 ティカ、私はこの子を助ける。
 例えあなたが、世界が助からないと定めても、
 私はこの子を助けるから

ティカ
「…………助けられる根拠はあるのですか?」

テラート
「私は何度も言ったはずよ。
 ―― 私が生きるべきだと定めたからよ



少女を抱きかかえ、聖歌を口にする。凛としていて、優しい調べだった。
テラートの歌うそれは、法力の初歩的な力の癒身の法に似た力がある。祈りの歌は人の傷を癒し、活力を与える。優しい調べであるのに、強い力が籠っていた。霊力は意志や感情でどこまででも強くなる。それだけ強い心を抱くのが難しいだけで。


目の前の人物は歌い続けた。
ティカの警告を無視して、ずっと歌い続けた。


そうして。


ティカ
―――― は、



―― テラートという人物は、奇跡を起こすのだ。








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