Eno.579 ウロツチ  うろつく土について - たそがれの頂


歩いている土


小人が歩いている。



もといたところより空が近いような。
地面に縫いつけられたままなら何も変わらないような。
そんな空の庭を、細い腕を振ってずんずんと歩いている。



そのうしろを、青い植物が歩いている。
小人の倍ほどの背丈のそれは、いつの間にか背後にいた。
小人に付き従うように、短い足でとことこと歩いている。

ときに横並びで、ときにジグザグに、ときに後ろ歩きで。
ちいさきものたちは、気ままに冒険をはじめていく。






のぼっていた土


小人がのぼっている。



人間の町で一番高い建物の中を、上へ上へ。
階段の手すりを伝い、複雑な仕掛けを伝い、壁のとっかかりを伝い。
ずんずん上へ。ぐんぐん上へ。とんがり屋根のてっぺんへ。

びゅうびゅうと横から風が吹く。吹き飛ばされぬよう腰かける。
がらんごろんと下から鐘が響く。その音に小さな体を震わせて。
真昼の太陽がすべてを照らす中。顔を上げ、青空を眺めていた。

それがその個体の習性だった。



その日も空を眺めていた小人の頭上に、小さな紙が降る。
かさりと顔に落ちてきた紙に手を触れた、瞬間。
響いていた鐘の音が消える。風の勢いが止む。空気が変わる。

けれど広がる青空の下にいることは変わらない。
小人は立ち上がり、ひとまず目の前の庭園入り口へ歩きだす。



小人のもとに舞い降りた紙は、空の庭への招待状だった。




うろつく土について


「うろうろする土」「雑草の小人」「踊る鍬」「地に湧く隣人」
などと呼ばれたり呼ばれなかったりする、意思を持って動く土。

気ままに歩き回るこれらが通った大地は耕され、花や草が咲く。
土に還るものはなんでも食べ、得た養分で増殖することもある。
発声器官は持たないが、言葉を解している様子は見受けられる。

花壇に勝手に花を生やしたり、民家に侵入し菓子をくすねる故、
出没地域の人々から害獣と認識されている。箒で叩き出される。


そんな、ありふれた妖精の類い。名も付けられない程度の現象。
動くというだけの神秘を宿した、そんじょそこらの、ただの土。




空を飛んだ土


小人が歩いている。
ひらけた野原を、草をかきわけ、がさり、がさり。



ばさり。羽音。
頭上を確認する間もなく、頭部に鋭いものが食い込んだ。
小人を獲物と勘違いした、鳥のかぎ爪。

ばさり。上昇。
小人の視界には、己の胴体、ばたつく手足、遠ざかる緑色の地面。

ばさり。浮遊感。
足が何も踏まない。風が体を叩く。初めて訪れた、鳥たちの世界。


小人の頭部をつかむかぎ爪は、どんどん食い込んでいく。やがて。

ぼろり。もろい土の塊はあっけなく砕かれた。
ばさり。鳥が飛び去る。土くれを宙に残して。

砕けてゆく小人の頭部が、風に吹かれて上を向く。
落下が始まる前の一瞬。頭上にはもう何もいない。



青色。
それだけが、砕けてゆく小人の視界を染めあげた。


ぱらぱら。
小人だった土くれは青色から遠ざかる。こまかく砕け散りながら。

ぱらぱら。
小人だった土くれは緑色の地面に降りそそぐ。元いた野原へ帰る。


還る。大地に。死にはしない。巡るだけ。

ぽこり。小人が再び芽吹く。
ゆらり。頭を上げる。その瞳に、ひとつだけ差した変化。


青色。




瞳に空の色を宿した個体は、そうして発生した。
その個体は高い場所を好む。空へ憧れるように。

いずれ空の庭への招待状を受け取る小人の、小さな昔話。








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