Eno.355 決闘の天使デスデュエル 記録 - たそがれの頂
「──花?」
「そちらは預かれませんね。なぜ受け取ったのですか?」
「小指のほうは確かに預かりました。早く仕事に戻りなさい」
「…………」
「ご自身で届けるならば構いませんよ」
「あなたが先日連れてきた魂が
その花を『欲しい』と言うなら、ですが」
一羽の天使の"情"は、死者のために使われるべきものだ。
ただ、生者と死者の願いが一致するのであれば、
心を満たすこと以外誰の利益にもならないことを条件として
ごくささやかな愛を施すことを咎められることはなかった。
生者から死者への贈り物を仲介して届けるなど、
少なくともこの天使に許された行いではない。
ただ、手向けの花など気休めにしかならない故に見逃された。
「──人の子。此処に、」
「此処に、先日オレが連れてきた男はいるか」
「幼い娘から花を預かった。父に届けてほしいと」
「はい。」
「それは、私だと思います。
娘は、アリシャはこの花が好きでしたので……」
「そうか」
「ああ、いえ、すみません。
まさか天使様にそんなことを頼んでしまうとは……」
「ありがとうございます……ありがとうございます。
娘は……何と言っていましたか?」
「……」
「退け。お前ではない」
「……え?」
「これはお前の物ではないと言った。
お前の娘からは何も預かっていない」
一羽の天使は人間の名前を訊ねることも呼ぶこともなかったが、
自身が天に迎え入れた敗者の顔と毛色ぐらいは覚えている。
数日以内に幼い娘を遺して死んだ男など、条件に当てはまる死者は幾らでもいた。
「──ここに居たか。お前の娘に頼まれた。これを」
「いらん」
一般的に。
幼子は親を愛するものだ。そうでなければ生きられない。
その一方で、親が子を愛するとは限らなかった。
一羽の天使の"情"は、死者のために使われるべきものだ。
生者の愛を背負った手向けの花は、枯れゆくだけの徒花となった。
一羽の天使は、徒花を手に子供の元へ戻る。
地上に戻ると、子供は地に横たわって泣いていた。
砂と乾いた涙の塩が粉吹いたような、
小汚い顔に埋め込まれたふたつの瞳をごろりと動かして天使を見上げる。
「天使様。花は」
「花はここにある」
「父は何と言っていましたか」
「『要らん』と。受け取らなかった。
そもそもオレはお前自身の慰めのために提案をしたのであって──」
「わかっています」
「わかっていました」
「ごめんなさい」
子供はそれきり黙りこくると、しばらくしたのち飢えて死んだ。
一羽の天使が許されている行動は、実に少ない。
決闘裁判で命を失った者でなければ、救うことは赦されていなかった。
その手に残った花を手向けてやることすら、なかった。
「──"決闘の天使"。何故ここにいるのですか?」
「早く仕事に戻りなさい」
天使にはそれぞれ役割がある。
決闘の天使に赦されていない行いの多くは、
その役割を持つ他の天使たちが全うした。
慈愛。
そのかたちは、けして美しく清らかなものとは限らない。
その日、堕天と引き換えの愛の証明は為されなかった。
たったふたつの嘘で、ふたつの魂を癒すことを選ばなかった。
「『その手に遺った徒花こそがお前の罪』」
「『結果的に、お前は主の愛を誰にも分け与えなかった』」
一羽の天使の身には、主から賜った一粒の愛。
そして、幼い人の子から預かったままの"心"が遺った。
「──だから、」
「この
恐れも愚かさも無い、天使らしく在れたあの頃に」
「ドラ」
「……ああ、いかんな。お前には辛気臭い話をしてばかりだ。
もうやめよう。こんな陰鬱な天使が居てたまるか」
「────、」
「ようは、だ。オレは日和って堕天し損ねた臆病者だ!
主の深き愛を証明できん背徳者は、この身が塵と化すまで働かねばな!」
「ドラ!」
「ときに、観葉植物よ。ちょっと言いにくいんだが……
すまん。お前にはとても固有名詞らしくない名を与えてしまったな」
「なので、お前の名は今日よりランドリーナとする。
聞いてくれてありがとランドリーナ」
「ドラ?!?!?!?」