Eno.125 図書塔の眠り魔女 2節 顔合わせの時間 - はじまりの場所
眠り魔女の噂
眠り魔女は人を食べている。
付き従った司書は美味しく育てられ、二度と戻らない。
その噂が本当だったなら――
2節 顔合わせの時間
「…はい、魔女様、できましたよ。」
「ん、いつもありがとう」
「まだ三回目ですよ。」
「……あら、そうだったかしら」
魔女様の記憶は非常に曖昧だ。
特に回数や日付に関してはことさら悪い。
ひどい日は私を違う人と間違う日だってある。
「……お茶菓子は私が用意してきましたから、お茶の方入れておいてください。」
「……あら、私がやらなければ駄目かしら」
「主従ではないんですよ、魔女様」
「仕方ないわねえ……」
渋々と準備を始める魔女様。
けれど、いれられた紅茶はやっぱりとても美味しい。
水を知っているような、茶葉を知っているような、そんな味。
数年に一度の楽しみ。
魔女様を起こす時の、密かな楽しみだ。
「……いつでもいいわよ」
「でしたら新人を呼んできます。少し待っていてください……寝ないでくださいね?」
「努力はするわよ」
私は部屋を出て、階下へ向かう。規定の時刻から五分過ぎ。魔女様にしては……まだ早い方だ。
入口に、新人司書がいた。ガチガチに緊張している。
「……怖い?」
「は、はい……あっ、ごめんなさい、いいえ!」
「いいよ、べつに取り繕わなくても……魔女様のことでしょ」
「う……はい。」
無理もない。眠り魔女には噂が耐えないから。
「実際に会ってみればわかるわ、少なくとも言えるのは……」
「魔女に食べられているようなら、今私はこの場にはいない。」
「……。」
「さ、行きましょう」
階段を上がると、緊張で早くなる鼓動が静寂に響いてくるようだ。
自分も新人の時はそうだった。だからわかる。
「…魔女様、お連れしました」
「……、あ、はあい。どうぞ」
心の中でため息をつく。……ああ、また、寝てたな。
ガチャリとドアを開けて新人を伴って入る。
「……ようこそ、私の部屋に。さ、座って」
「は、はい……」
緊張したまま新人は促されるまま腰掛け、私も隣に座る。
「どう? 人と変わらないでしょう?」
「えっと、そうですね……色々なものがあって……えっと、使って……」
「つ、使ってるわよ!」
魔女様の声が一段高く跳ねた。肩もぴくりと揺れる。
新人は首をかしげて部屋を見回す。
「でも……この茶器、ピカピカです、茶渋もないような……」
魔女様は慌ててティーカップを抱え込み、胸の前でぎゅっと押さえた。
「えっ、ああ……毎日使ってるのよ!で、すぐ洗ってるわ!」
目が泳いでいる。
本棚に視線を移すと、整然と並ぶ本の背表紙。新人がそっと一冊を抜きかけると、ぱふっと埃が舞い上がり、盛大にむせ込んだ。
「げほっ、ごほっ……! す、すみません!」
魔女様はすかさず胸を張って言い切る。
「毎日読んでるわ!」
……説得力は皆無だ。
最後にペン立てに目をやる新人。
「これ、インク……もう乾いてますよね?」
「えっと……そう、そういう魔術なのよ!」
魔女様は声を張り上げ、カップを両手で抱えてそっぽを向いた。
私はその仕草を見て、思わず笑ってしまう。
新人は真剣に「なるほど……」と頷いていて――本気で信じているらしい。
顔合わせは面接じゃない。ただの顔合わせだ。
そう遠くないうちに、この子は魔女と図書塔の繋ぎ役になる。
だから今のうちに打ち解けておいてもらいたい。
こうして喋る機会など、そう多くはないのだから。
時間がすぎていく。
窓から差す光が高く登っていき、会話の音が部屋に馴染んでいった。
「……えっ! この本、プレミア物じゃないですか!」
新人の声が弾んだ。
「それいつのだったかしら……」
「三十年前とかですよ! もう見つかりません!」
……もう私がフォローする必要もなさそうだ。
新人はすっかり夢中になり、魔女様もそれに柔らかく応じる。
なんでも受け入れるように話す、その姿はやっぱり不思議で――
本当に、不思議な方だ。
「ふああ……」
大きなあくびが響く。
「……もうこんな時間ですか。そろそろ顔合わせ終わりですね」
「……なんだかもっと喋りたいです」
「でも魔女様も今日は他にやることがあるから」
「……はい」
新人を連れて見送りに出る。
その足取りは、来た時よりもずっと軽い。
……少し後、私は再び魔女様の部屋へ。
そっとドアを開ければ、案の定もう眠っていた。
「魔女様」
「んぁ……寝てたわ」
「寝るのが早すぎますよ。ほら、まだ塔の魔力点検があるんですから……立ってください」
「んぇ~……」
塔の中が、魔女様の呼吸に合わせて微かに揺れるような気がした。
その静けさを残したまま、私たちは次の仕事へと取り掛かっていく。
眠り魔女は人を食べている。
付き従った司書は美味しく育てられ、二度と戻らない。
その噂が本当だったなら――
2節 顔合わせの時間
「…はい、魔女様、できましたよ。」
「ん、いつもありがとう」
「まだ三回目ですよ。」
「……あら、そうだったかしら」
魔女様の記憶は非常に曖昧だ。
特に回数や日付に関してはことさら悪い。
ひどい日は私を違う人と間違う日だってある。
「……お茶菓子は私が用意してきましたから、お茶の方入れておいてください。」
「……あら、私がやらなければ駄目かしら」
「主従ではないんですよ、魔女様」
「仕方ないわねえ……」
渋々と準備を始める魔女様。
けれど、いれられた紅茶はやっぱりとても美味しい。
水を知っているような、茶葉を知っているような、そんな味。
数年に一度の楽しみ。
魔女様を起こす時の、密かな楽しみだ。
「……いつでもいいわよ」
「でしたら新人を呼んできます。少し待っていてください……寝ないでくださいね?」
「努力はするわよ」
私は部屋を出て、階下へ向かう。規定の時刻から五分過ぎ。魔女様にしては……まだ早い方だ。
入口に、新人司書がいた。ガチガチに緊張している。
「……怖い?」
「は、はい……あっ、ごめんなさい、いいえ!」
「いいよ、べつに取り繕わなくても……魔女様のことでしょ」
「う……はい。」
無理もない。眠り魔女には噂が耐えないから。
「実際に会ってみればわかるわ、少なくとも言えるのは……」
「魔女に食べられているようなら、今私はこの場にはいない。」
「……。」
「さ、行きましょう」
階段を上がると、緊張で早くなる鼓動が静寂に響いてくるようだ。
自分も新人の時はそうだった。だからわかる。
「…魔女様、お連れしました」
「……、あ、はあい。どうぞ」
心の中でため息をつく。……ああ、また、寝てたな。
ガチャリとドアを開けて新人を伴って入る。
「……ようこそ、私の部屋に。さ、座って」
「は、はい……」
緊張したまま新人は促されるまま腰掛け、私も隣に座る。
「どう? 人と変わらないでしょう?」
「えっと、そうですね……色々なものがあって……えっと、使って……」
「つ、使ってるわよ!」
魔女様の声が一段高く跳ねた。肩もぴくりと揺れる。
新人は首をかしげて部屋を見回す。
「でも……この茶器、ピカピカです、茶渋もないような……」
魔女様は慌ててティーカップを抱え込み、胸の前でぎゅっと押さえた。
「えっ、ああ……毎日使ってるのよ!で、すぐ洗ってるわ!」
目が泳いでいる。
本棚に視線を移すと、整然と並ぶ本の背表紙。新人がそっと一冊を抜きかけると、ぱふっと埃が舞い上がり、盛大にむせ込んだ。
「げほっ、ごほっ……! す、すみません!」
魔女様はすかさず胸を張って言い切る。
「毎日読んでるわ!」
……説得力は皆無だ。
最後にペン立てに目をやる新人。
「これ、インク……もう乾いてますよね?」
「えっと……そう、そういう魔術なのよ!」
魔女様は声を張り上げ、カップを両手で抱えてそっぽを向いた。
私はその仕草を見て、思わず笑ってしまう。
新人は真剣に「なるほど……」と頷いていて――本気で信じているらしい。
顔合わせは面接じゃない。ただの顔合わせだ。
そう遠くないうちに、この子は魔女と図書塔の繋ぎ役になる。
だから今のうちに打ち解けておいてもらいたい。
こうして喋る機会など、そう多くはないのだから。
時間がすぎていく。
窓から差す光が高く登っていき、会話の音が部屋に馴染んでいった。
「……えっ! この本、プレミア物じゃないですか!」
新人の声が弾んだ。
「それいつのだったかしら……」
「三十年前とかですよ! もう見つかりません!」
……もう私がフォローする必要もなさそうだ。
新人はすっかり夢中になり、魔女様もそれに柔らかく応じる。
なんでも受け入れるように話す、その姿はやっぱり不思議で――
本当に、不思議な方だ。
「ふああ……」
大きなあくびが響く。
「……もうこんな時間ですか。そろそろ顔合わせ終わりですね」
「……なんだかもっと喋りたいです」
「でも魔女様も今日は他にやることがあるから」
「……はい」
新人を連れて見送りに出る。
その足取りは、来た時よりもずっと軽い。
……少し後、私は再び魔女様の部屋へ。
そっとドアを開ければ、案の定もう眠っていた。
「魔女様」
「んぁ……寝てたわ」
「寝るのが早すぎますよ。ほら、まだ塔の魔力点検があるんですから……立ってください」
「んぇ~……」
塔の中が、魔女様の呼吸に合わせて微かに揺れるような気がした。
その静けさを残したまま、私たちは次の仕事へと取り掛かっていく。