Eno.1 椋 京介 はなのきもち - はじまりの場所
その花の、花のように見える部分は実は花ではない。
人は、これまで生きてきた知識や経験、
もっと抽象的に言えば"これまでどう生きてきたか"によって世界を捉え、
考えていくものなのだろう。
バラの花束を送られれば、それは"愛を伝えるもの"であるという知識が、
そのバラの花束に愛というものを思わせるだろうし、
キノコを送られて、それがベニテングダケだと同定できる経験があれば、
そのキノコはもう既に"キノコ"ではなく"ベニテングダケ"になってしまう。
それはきっと、この世界の解像度を上げることかもしれないし、
それはきっと、この世界を自由に見られなくなる不可逆の変質かもしれない。
その花の、花のように見える部分は実は花ではない。
それが花を愛でることに支障をきたすことになるかもしれないし、
それがその花を知るには必要なことかもしれない。

京介
「...サイジア。」
「...サイジア。」

京介
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
彩の中にが花弁を隠す君は。」
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
彩の中にが花弁を隠す君は。」

京介
「君はきっと、その彩の中の花弁を誰かに見つけてもらいたくて、
その彩の中の花弁を他の誰にも見つけて欲しくなかったんだろうか。」
「君はきっと、その彩の中の花弁を誰かに見つけてもらいたくて、
その彩の中の花弁を他の誰にも見つけて欲しくなかったんだろうか。」

京介
「自分は自分の大きさの中でしか生きられない世の中で、
それでもなお、誰かに見つけて欲しいと思ったのかもしれない。」
「自分は自分の大きさの中でしか生きられない世の中で、
それでもなお、誰かに見つけて欲しいと思ったのかもしれない。」

京介
「...心を通わせるなんてことができるかは、
今の僕には分からないけれど。」
「...心を通わせるなんてことができるかは、
今の僕には分からないけれど。」

京介
「それでも僕は........、君を知れるといいなと思うよ。」
「それでも僕は........、君を知れるといいなと思うよ。」
色付いた薄い膜は、空の色を写しながら静かに揺れる。
"空の色"は移りゆく時の中で変わりゆくものだ。
それでも、その花は常に 空に浮かぶ陽の色を湛えて咲いているのだろう。
Fno.5 サイジア
しとしとと、雨が降っている。
舗道の石を濡らし、路地の端に並ぶ青い房を、やわらかく包み込むように。
花のように見える部分は、実は花ではない――そのことを知っていても、やはり人は立ち止まる。
色づいた薄い膜が、雨粒を受けて透け、空の色を写しながら静かに揺れる姿は、まるで水の中の生き物のようだ。
通りの向こう、灰色の空の下で、ひとりの子供が傘を差して立っている。
彼女は何も言わず、ただ群れ咲くサイジアをじっと見つめていた。
黄色い傘の縁から、雨粒がときおり滴り落ちる。
サイジアはもともと、外の世界から持ち込まれた花だという。
その世界では、一年のうち長く降り続く雨の季節があり、サイジアはそこで群れ咲き、淡い光を宿す。
不思議なことに、ソラニワにも時折、あちらの世界と同じ気候が訪れることがある。
理由は分からない。けれど、その時期になると、サイジアは必ず咲くのだ。
雨脚は弱くも強くもならず、ただ一定の調べを奏で続ける。
傘の下の彼女がいつ立ち去ったのか、誰も見てはいなかった。
残されたのは、雨に滲む群青色の房と、地面に落ちた一枚の黄色の花びらだけだった。