Eno.1 椋 京介  はなのきもち - はじまりの場所



花言葉は誰が考えた言葉なのだろうか。


花に想いを添えて送りたいと思った人がいたのだろうか。
もしくは、ここの花はひとりでに言の葉を紡ぐのだろうか。
ここの花を知らない今の僕には想像することしかできない。

花の意志か人の意志かは分からないけれど、きっとそこには伝えたいメッセージがあった...

───いや、"ある"のだろう。


京介
「...ビギナ。」


京介
「君は何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
 僕が君を想うには多分、色々足りないんだと思う。」


京介
「そんな僕の手の中で、それでも咲いてくれる君は、
 きっと優しくて、きっと寂しがり屋な花なのかもしれない。」


京介
「それはきっと、ただの願望に過ぎなくて、
 それはきっと、ただそう思わされているだけなのかもしれないけど。」


京介
「それでも僕は........、ビギナを見てそう思った、と思いたい。」



人を想い、花を想うその手の中のビギナは、
一体どんな色の花を咲かせるのだろうか。



Fno.1 ビギナ

庭園から貸し出される花壇には、必ず最初に一輪のビギナが植えられている。
これは「これから花を育てる」という旅路の始まりを象徴し、花言葉の通り、庭園への来訪者を歓迎する意味も込められている。

ビギナは、寒さや乾燥といった環境の変化にもよく耐え、特別な知識がなくても育てやすい。園芸に不慣れな者にとって最初の相棒となることが多く、そのため「初心の花」とも呼ばれている。
群れ咲かせれば来客を迎える紅の絨毯となり、他の花と混ぜて植えれば、舞台の彩りとしても映える――演出の幅広さも、人気の理由のひとつだ。

だが、ビギナが真に特別な存在とされるのは、その見た目以上に、内に秘めた性質による。
それは「育てる者の気質を映す」という、不思議な力だ。花の色は育て方によって微妙に変化し、穏やかな手入れには朱色を、情熱的な愛情には深紅を返す。そして慎重すぎる手は、かえって色を淡くさせることさえある。

この特性に気づく者は多くない。なぜなら、ほとんどのビギナは園芸初心者のもとへ渡るため、その花色を「これがビギナなのだ」と当たり前に受け入れてしまうからだ。
けれど、庭園で長く時を過ごし、さまざまな花と向き合った者が再びビギナを手に取ったとき、不意に気づく瞬間が訪れる。
あのときの花と、今咲いた花は、何かが違う――と。
ビギナは語りかける。あなたがどんなふうに花と向き合い、心を通わせてきたのかを。

なお、これほど環境を選ばず育つ花でありながら、今のところストロールグリーン島でしか咲いているのが確認されていない。








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