Eno.218 兎面の飴屋  戯言 - 参 - はじまりの場所

戯言 - 参

人の命は、時に燻らす紫煙より儚きもの。
運命とは、その煙のように掴めぬもの。



 真赭まそおに町へと連れ出された俺は、否応なしに人間の生活を送る事となった。
 妖である俺の人間生活は、まず人家での生活に慣れる所から始まった。
 山とは違う。神社とも違う。
 早朝に目を覚まし、日の出ているうちは働き、夜になれば質素な食事を摂って眠る。
 「真赭」という同居人に設備や道具の使い方を教わりながら、ぎこちなく過ごして七日が経った頃。
 真赭は俺をある場所へ連れて行った。

 そこは、甘い匂いが漂う店だった。
 店頭に並ぶのは、色とりどり、形も様々な飴だった。
 飴屋というらしい店には、店主らしき老人と、真赭とそう歳の変わらぬ娘がいた。
 真赭が俺を二人に紹介した。
 老人は訝しげな表情で俺を見た。
 無理もない。俺は真赭が急に連れてきた同居人であり、一日中兎の面をつけている変わり者だ。
 娘は可愛いとはしゃいでいたが、老人はそうはいかない。
 名前、年齢、出身……身の上を散々訊かれ、それらに正直且つ適当に答える時間が続いた。
 俺が答えに詰まると、その都度真赭が助け舟やら解説やらをした。
 質問に答えているだけだというのに、真赭が口を開く度に老人の機嫌は悪くなったように見えた。

 聞けば、老人と真赭は親子であるらしい。
 娘とは姉弟なのだと言った。
 血縁者でありながら、仲は良くないのだろう。
 最終的にかなり険悪な雰囲気になったが、老人は俺を飴屋で修行させることを許可した。

 ──俺を飴屋で修行させる。
 そういう話だったのか。
 あれこれ訊かれたのは、見習いを取る為の準備だったと。
 俺は飴に興味など無かったし、真赭から説明もされなかった。
 だというのに、いつの間にか俺は鍋の前に立たされていた。

 老人が──師と言えばいいのだろうか──鍋で煮ていたものを金属板の上に垂らす。
 それが恐ろしく熱いらしいのは、熱気で伝わった。
 それから、噎せ返るような甘い匂い。
 このドロリとしたものを加工して飴にするらしい。

 師の手際は見事だった。
 両手の小さな金属板を器用に使い、冷却板(というらしい)の上で広がる飴をまとめ上げる。
 それに香料や着色料を混ぜ、飴にしていく。
 師の下で形を変え、色を変えていく飴が、俺には不思議な生き物のように見えた。

 飴作りは速さと熱さとの勝負らしい。
 師はあれよあれよという間に、ドロドロの何かであったものを一口大の可愛らしい飴玉へと変えていった。
 そして、これから俺も飴を作れるようになれと。そう言ってきた。
 普通の料理すらまともに作った事がない俺に。


 飴屋の修行は、想像していたように一筋縄ではいかず、想像以上に過酷であった。
 熱い。暑い。重い。上手くいかない。何もかも。
 工房の環境に慣れなければ、飴に手を出す事すらできない。
 俺が練習で扱った飴は、悉く焦げ、歪な形で固まった。
 口に入れれば、どこまでも苦かった。
 最初こそ「そんなもんだ」と言っていた師も、何十、何百と失敗を繰り返しては上達しない俺に、次第に渋面を作るようになっていった。
 いつも励ましの声をくれた娘でさえ、惨状に言葉を詰まらせた。
 同じ工房で働く他の職人達も、それぞれ差異はあったが大体同じような顔をした。
 どうやら俺には才が無いらしい。それも絶望的なまでに。
 弟子には厳しい態度を取る師が、俺には同情したのがその証左であろう。

 飴屋での一日を終えて帰宅すると、真赭が夕飯を作って待っているのだが。
 俺はいつも何も食べずに泥のように眠った。
 食事は必要としないのに加え、毎日恐ろしく疲れるからだ。
 そんな俺に、真赭は心配そうな顔を向けてくる。
 俺を飴屋に放り込んだ張本人なのにだ。

 真赭は、厳しく頑固な師と、娘を始めとした他の職人たちと上手くやれているのか気になっているらしい。
 飴の腕については何も訊かれなかったのは、ある程度予想できていたからか。
 技術面が絶望的であること以外は、意外と上手くいっている。
 一応は師の教えを遵守し、他の者の言う事も逐一聞いていたからだろう。
 工房での俺は、「素直で不器用な新入り」という認識をされているらしい。
 そう告げると、真赭は何となく嬉しそうにしていた。変な奴だ。


 真赭に訊いたことがある。
 親子なのに共に飴を作らないのか、と。
 真赭はばつが悪そうにしながら、「俺は小間物売りの方が向いてるんだ」と言った。
 飴の腕も、姉の方が随分と上らしい。
 跡を継ぐのは姉であり、自分は別方向で生きていくのだと。
 人間誰しも適正というものがある。それを外れて無理をすれば、修行は地獄の様に辛いものとなるからと。
 ──気が付けば、俺は真赭を床に沈めていた。


 そんな飴屋での日々が続き、三月ほど経った頃。
 師が俺を飴売りに同行させた。
 兎の面をしたままの奇妙な奴だからと、外に出ることは無かったのだが、その日は違った。
 兎の面は良くも悪くも人目を引く。
 それが集客に繋がった。
 加えて、俺は山の妖だ。人間でいう軽業は然程苦も無くできた。
 兎面の女子供(に見える奴)が、派手に芸をしていれば、自ずと人は集まる。
 その集まった人々に飴を売る。
 その日の売り上げは上々だったらしく、師は俺に初めて嬉しそうな顔を見せた。
 帰り道に、師は俺にうどんを食べさせてくれた。
 きつねうどんというらしい、油揚げの載ったうどん。
 それはとても美味なものであった。

 俺の適性とやらは、飴作りではなく軽業だったのではなかろうか。
 その事を真赭に言えば、妙に納得された。
 あいつは俺を何だと思っていたのだろう。


 飴屋で働くことに慣れてきた頃。
 行商には大体連れていかれるようになり、肝心の飴も歪ながらに食べられるものを作れるようになった。
 毎日毎日、飴と向き合ってきた成果が出始めていた。
 師が認める飴を作る事ができれば、商品として扱って貰える。
 何だかんだでやる気になっていたのだ、俺は。

 そんな俺とは対照的に、真赭の表情は複雑なものに変わっていった。
 工房で寝泊まりした日など、わざわざ来たくも無いであろう店まで来て俺と同室で寝ようとした。
 行商で師について回れば、物陰からじっとりとした視線を感じる事もあった。
 姉弟子に相談すれば、「子供ねぇ」とため息を吐かれた。

 どうやら真赭は、寂しいらしい。
 俺が構ってやらないから。
 神社から連れてきたのは真赭だというのに、飴屋で日々忙しくしている俺が気に喰わないのだ。
 面倒。果てしなく面倒だ。
 そもそも飴屋に紹介したのは誰だ。
 俺が真赭の家から離れるのが厭なのであれば、町に連れて来てからずっと閉じ込めておけばよかっただろうに。
 人間がそれに耐えられなくても、妖たる俺は幽閉に慣れている。
 それをしなかったのは、俺に人間の街で人間と同じように過ごしてほしかったからではないのか。
 なれば多少の寂しさは我慢してほしいものだが。

 ある日、俺は仕事を早めに切り上げて帰宅した。
 そして簡素ながらに晩飯を作って待っていた。
 何も知らずに帰宅してきた真赭の顔と言ったらなかった。
 喜ばれると同時に泣かれるなど、かつてあっただろうか。
 食事の終わりに、店で辛うじて合格点を貰えた飴を出してやると、感極まった真赭に抱き着かれた。
 無論、床に沈めたが。
 一連の反応から、真赭が俺に懐いている事は伝わった。
 これからはもう少し構う時間を作ってやるべきだろうかと、本気で考えた。


 真赭に構ってやってからというもの、真赭が妙に仕事熱心になったような気がした。
 新しい小物や化粧品を仕入れては、顧客を増やしているらしい事を聞いた。
 俺に感化されての事なのだろうか。商売が繁盛しているのであれば良い事だろうが。

 俺は俺で、相変わらず飴と格闘していた。
 師のような美しい飴も、姉弟子のような可愛らしい飴も、まだ作れない。
 簡素で武骨なものばかり。それでも一応売れはするが。
 こういった形でも人の生活に馴染めているのであれば、当初の目的は果たされているのだろう。



 日々を忙しく過ごしている折に、不穏な噂を聞いた。
 近頃、物取りが出るらしい。
 夜の闇に紛れ、家路を急ぐ人の荷を奪って去って行くのだとか。
 奪い取る際に刃物を使う事もあるらしい。
 俺の荷物はあってないようなものであるし、そもそも飴だ。
 標的にはなりにくかろうが、真赭は違う。
 小間物を詰めた箱は金目のものと認識されるだろうし、風呂敷で包んでいるが「それ」と分かる。
 商売に熱心になり、帰りが遅くなる事も多くなった。
 一抹の不安を抱かずにはいられなかった。


 その不安は、悪い方向で的中した。


 その日も、真赭の帰りは遅かった。
 俺が仕事を終えて帰宅し、食卓を整えても帰ってこなかった。
 また商売が長引いているのか、遠出しているのか。
 夜半になっても帰ってこず、探しに行こうかと思い始めた頃。
 やっと真赭が帰ってきた。

 血の匂いをさせて。

 真赭の息は荒く、その腹からは血が流れていた。
 戸口で倒れ込んだ真赭は、苦しそうに、どこか申し訳なさそうに顔を歪めていた。
 止血しようと傷を検めたところで、これはもう助からないだろうと悟った。
 妖力を封印された俺では、満足に治せない。封印されていなくても厳しかっただろう。
 それでもできる限りの事はしようと思った。万に一つもない奇跡というものに縋りたかった。
 真赭はその俺の手を掴んで、懐から和紙に包まれた何かを取り出して。
 それを俺に押し付けながら、何故か兎の面を外すように乞うてきた。

 素顔を見たい。
 今際の際に願う事がそれか。
 素顔を見た者を攫って伴侶とするか、殺して喰らうか。
 その二択を──実質一択を──この場で迫られるとは。

 俺は面を外すことにした。
 元より瀕死の相手だ。攫う必要も、わざわざ殺す必要もないと思ったからだ。

 俺の素顔を見た真赭は、少し驚いたような顔をした後、力なくへらりと笑った。
 そして一言「ごめん」とだけ告げて。
 それきり、動かなくなった。

 事切れた真赭を「治療」して。
 尚も流れ続ける血を啜った。殺してはいないが喰らう事は必要だと思ったからだ。
 真赭の血は、何とも言えない味だった。

 それから、決して近場とは言えない場所に住んでいた医者を呼んだ。
 真赭の傷は深かった。とてもではないが歩き回れるような状態ではなかったと、医者は言った。

 真赭は仕事道具の荷物を背負っていなかった。
 噂の物取りに奪われたのだろう。その命と一緒に。

 真赭が最後に寄越したものは、一本の煙管だった。
 赤い羅宇の、真新しい煙管。
 真赭は煙管を俺に贈りたがっていたと、後に姉弟子から聞いた。

 煙管一本の為に、夜遅くまで働いて。
 やっと買えたと思ったらこの結末だ。
 運命というやつは、余程真赭が嫌いらしかった。



 真赭の死から、俺の周囲は徐々に変わっていった。
 師は深く心を痛めたらしく、床に臥す日が多くなった。
 姉弟子からも笑顔が消えた。
 家がとても静かになった。

 師が病になってからは早かった。
 飴を作る事も売り歩くこともできなくなり、日に日に弱っていった。
 結局、真赭の葬式から半年も経たずに師もいなくなった。


 俺は飴屋から去る事にした。
 家に帰っても真赭はおらず、師ももういない。飴屋は姉弟子が婿を取って継ぐ。
 俺があの町に留まる理由は無くなった。
 
 姉弟子からは旅先でも飴を作れるようにと、道具一式を譲られた。
 思えば、俺が妖であることを知っていたのは真赭だけだ。
 ただの人間である俺が生きていくために、飴屋を続けて行けと言う事なのだろう。
 折角身に付いた技術なのだからと。それもそうかと、俺は旅の飴屋になる事にした。

 旅の道連れは、真赭がくれた煙管一本。
 それだけで充分であろう。


 そうして俺は、「飴屋」になった。








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