Eno.99 異色想の紋織師 古くから伝わる片角の羊に関する古伝 - はじまりの場所
古くより、各地に伝わる羊の民において
角とは対を成し、世界の均衡を映すものと考えられてきた。
左の角は天と理を、
右の角は地と情を受け持ち、
両者が揃うことで、個は過不足なく世界と結ばれる。
それが、古代より語られてきた一般的な解釈である。
しかし、稀に
片角のみを持って生まれる者が存在する。
そのような個体について、
最も古い記録では
「均衡を欠きし器」
あるいは
「力の流れを一方に偏らせる存在」
と記されている。
なお、
左右の解釈自体が
地域や時代によって入れ替わっており、
どちらが欠けているかよりも、
「対が失われている」ことそのものが
問題視されていた可能性もある。
片角の羊は、
天と地、祝福と災い、そのいずれかを
過剰に受け取ると信じられていた。
天に、あるいは光に傾けば、
人知を超えた慈悲と導きをもたらす神の器となり、
地に、あるいは闇に傾けば、
争いと変革を呼び込む災厄の兆しとなる。
ゆえに、古き言葉では
こう語られる。
『片角に生まれし者は、神に最も近く、また悪魔にも最も近い』
ただし、実際にいかなる力を意味するのかについては、
明確な記述は残されていない。
後世の民俗学者の中には、
この伝承が必ずしも所謂超常的事象を指すものではないと考える者もいる。
すなわち、
片角の羊は、身体的にも社会的にも稀有であり、
その存在自体が共同体の秩序を揺るがすため、
畏怖と神話によって距離を取られたのではないか、
という説がある。
「神か、悪魔か」という二分は、
理解できぬものを
いずれかの極に押しやるための
人の側の言葉であった可能性も否定できない。
いずれにせよ、
記録の多くは一致して次の点を示している。
片角の羊は、崇められることはあっても、
決して「同じ輪の内」に迎え入れられることはなかった、と。
彼らは常に
少し離れた場所から見られ、語られ、
定義されてきた存在なのである。
しかしながら、その距離のすべてが
外部から課されたものであったとは限らない。
片角の羊の中には、
共同体の枠組みや価値判断そのものに関心を示さず、
意識的、あるいは無意識のうちに
自ら輪の外に立つことを選んだ者もいたとされる。
なお、片角の羊が生まれる条件については、
古来より様々な説が語られてきた。
星の巡りが乱れた夜、
長く雨の降らなかった年、
あるいは、祝福と弔いが同じ季節に重なった時など。
いずれも確たる根拠を持つものではなく、
人々が「違い」に理由を求めた
言葉の集積に過ぎないと考えられている。
また別の記録では、
片角の羊は
「最初から、どちらにも与しない子」
として生まれるのだとも記されている。
神にも、悪魔にも、そして共同体の輪にも
強く結びつかぬまま――
ただ、"そう在る"ことを選ぶ気質が、
生まれの形に現れたに過ぎないのだ、と。
※
以上の記述は、いずれも
当時の人々の認識を反映したものであり、
片角の羊そのものを
正確に描写しているとは限らない。
角とは対を成し、世界の均衡を映すものと考えられてきた。
左の角は天と理を、
右の角は地と情を受け持ち、
両者が揃うことで、個は過不足なく世界と結ばれる。
それが、古代より語られてきた一般的な解釈である。
しかし、稀に
片角のみを持って生まれる者が存在する。
そのような個体について、
最も古い記録では
「均衡を欠きし器」
あるいは
「力の流れを一方に偏らせる存在」
と記されている。
なお、
左右の解釈自体が
地域や時代によって入れ替わっており、
どちらが欠けているかよりも、
「対が失われている」ことそのものが
問題視されていた可能性もある。
片角の羊は、
天と地、祝福と災い、そのいずれかを
過剰に受け取ると信じられていた。
天に、あるいは光に傾けば、
人知を超えた慈悲と導きをもたらす神の器となり、
地に、あるいは闇に傾けば、
争いと変革を呼び込む災厄の兆しとなる。
ゆえに、古き言葉では
こう語られる。
『片角に生まれし者は、神に最も近く、また悪魔にも最も近い』
ただし、実際にいかなる力を意味するのかについては、
明確な記述は残されていない。
後世の民俗学者の中には、
この伝承が必ずしも所謂超常的事象を指すものではないと考える者もいる。
すなわち、
片角の羊は、身体的にも社会的にも稀有であり、
その存在自体が共同体の秩序を揺るがすため、
畏怖と神話によって距離を取られたのではないか、
という説がある。
「神か、悪魔か」という二分は、
理解できぬものを
いずれかの極に押しやるための
人の側の言葉であった可能性も否定できない。
いずれにせよ、
記録の多くは一致して次の点を示している。
片角の羊は、崇められることはあっても、
決して「同じ輪の内」に迎え入れられることはなかった、と。
彼らは常に
少し離れた場所から見られ、語られ、
定義されてきた存在なのである。
しかしながら、その距離のすべてが
外部から課されたものであったとは限らない。
片角の羊の中には、
共同体の枠組みや価値判断そのものに関心を示さず、
意識的、あるいは無意識のうちに
自ら輪の外に立つことを選んだ者もいたとされる。
なお、片角の羊が生まれる条件については、
古来より様々な説が語られてきた。
星の巡りが乱れた夜、
長く雨の降らなかった年、
あるいは、祝福と弔いが同じ季節に重なった時など。
いずれも確たる根拠を持つものではなく、
人々が「違い」に理由を求めた
言葉の集積に過ぎないと考えられている。
また別の記録では、
片角の羊は
「最初から、どちらにも与しない子」
として生まれるのだとも記されている。
神にも、悪魔にも、そして共同体の輪にも
強く結びつかぬまま――
ただ、"そう在る"ことを選ぶ気質が、
生まれの形に現れたに過ぎないのだ、と。
※
以上の記述は、いずれも
当時の人々の認識を反映したものであり、
片角の羊そのものを
正確に描写しているとは限らない。

ディノフィエンシー
「……と、いう古伝もありますけれども~」
「……と、いう古伝もありますけれども~」

ディノフィエンシー
「結局、私は「神」と「悪魔」。どちらだと思いますか?」
「結局、私は「神」と「悪魔」。どちらだと思いますか?」

ディノフィエンシー
「…………どちらであることを望みますか~?」
「…………どちらであることを望みますか~?」

ディノフィエンシー
「なんて。……ふふ」
「なんて。……ふふ」