Eno.218 兎面の飴屋  戯言 - 弐 - はじまりの場所

「朧月夜に舞い踊り、白髪振り乱し魑魅魍魎を喰らう様は、まるで兎の妖災のやうでありました」と
そう言ったのは、果たして誰であっただろうか。



 掟に背いて山を下りる事になった俺は、風の向くままに歩いた。
 特に目的もなく、周囲の空気に溶けるように生きた。

 俺は基本的には姿を隠し、たまに出会った妖や旅人から話を聞いたりしながら、長い時を過ごした。
 俺の一族は人や動物と違い、しっかりとした食事や睡眠を必要としない。
 風でも土でも植物でも。自然のものから僅かでも妖力を得られれば、弱った体も徐々に回復していった。
 故に適当に歩いても不便は無かった。


 久遠を生きる妖とは違い、人間の時間は疾く過ぎていく。
 街道は瞬きの間に整備され、人が暮らす町は増え、大きくなっていった。
 豊作を祝う年もあれば、不作で飢饉が起きる年もあった。
 人間の姿も生活も、その時代によって少しずつ変わっていった。


 俺がその場所を見つけたのは、動乱の気配が漂う最中の秋だった。

 無人の荒野とでも言うべきか。
 人の気配も動物の気配もなく、灰色の地面に曼殊沙華が揺れるだけの静かな場所だった。

 その地には、寂れた神社がぽつんとあった。
 申し訳程度の鳥居は汚れ、罅割れ、傾いて。
 それなりの広さがあったであろう境内は、落ち葉と雑草で埋め尽くされ。
 唯一の屋根を持つ本殿は、やはり周囲と同じように廃れていた。

 人が去り、信仰を失くした神が去った神社というものは、人にとっては危険な場所だ。
 人知を超えたものを呼び寄せる舞台装置だけが残され、管理されなくなる。
 すると、そこへ有象無象の「よくないもの」が集まる事になる。
 悪霊。怨霊。物の怪。神のようでそうでないもの。
 俺自身も、そのうちの一匹だったのかもしれない。


 雑草が足元に絡む境内を歩き、決して小さくはない本殿の古びた戸を開ける。
 中に閉じ込められていた空気が一気に抜けていく。
 薄暗い本殿の中には、御神体やその類のものは無かった。
 代わりに、「それ」がいた。
 
 かつて祀られていたであろう神の様に、本殿の中に鎮座していたもの。
 大きな鼠のような姿の、名も無き物の怪。
 或いは、祀られていた神が零落した姿なのかもしれない。神々しさの欠片も見られなかったが。

 静寂の微睡を邪魔された大鼠は、窮屈そうに起き上がり、不機嫌そうに俺を見た。
 その目は、決して己と相容れぬ者がするそれだった。
 大鼠は威嚇のつもりか、鋭い鉤爪のついた前足を振るった。
 それが俺の仮面を弾き飛ばし、鼠は俺の顔を見た。
 故に、俺はそいつを殺して喰らう事にした。
 掟に従って。

 掟を守るのであれば、鼠の妖を伴侶として同族に迎える道もあった。
 「伴侶」は便宜上そう称しているだけであり、人や動物でいう「夫婦」や「番」のような関係ではない。
 同族にする為に山に閉じ込め、逃げぬよう管理するだけの関係性に過ぎない。
 されど、山を追われた俺にそのような関係を結ぶ意味は無かったし、敵対心を隠さぬ相手を傍に置く気も無かった。
 守る意味のない掟。されど、従わねば命が削られる掟。
 嗚呼、忌々しい。


 俺と鼠の戦いは、日没前から日の出後まで続いた。
 鼠はその巨体の通りにしぶとく、俺の力が山にいた頃よりも弱かったせいだろう。
 最後まで立っていたのは俺だったが、無傷ではなかったし本殿もだいぶ壊れた。
 決して、美しくは戦わせてもらえなかった。それは鼠の強さの証左でもあった。

 物言わぬ肉となった鼠を喰らえば、体に力が満ちていくのを感じた。
 自然から僅かばかり吸うのとは違う。
 妖の力を取り込んだせいか、掟を守ったからか。その両方か。
 理由は定かではないが、体が楽になったのは山で平穏に過ごしていた時以来だった。


 鼠の妖を退けた事で、廃神社は本当に静かな場所になった。
 神頼みをしに来た者にとってはとんだ肩透かしだろうが、俺にとっては好都合だった。
 本当に誰もいないし何もない。
 人や動物の目を気にせず過ごせる社と、妖力を得るだけの自然物だけがある。
 俺は暫く、この廃神社に滞在することにした。

 壊れた本殿を修理し、やたら絡みつく雑草を処理し。
 この場所を己にとって居心地のいい場所に整えた。
 他にする事もなかった妖には、丁度いい暇潰しだった。

 されど、その静寂もすぐに破られる事になった。
 戦の気配が消えぬ世だからか、毎夜の如く「それら」は現れた。
 成仏できぬ魂。妖。幽鬼。
 神社を修復した事で、再び魑魅魍魎が集まるようになったのだろう。

 片っ端から喰らってやった。

 無念を叫ぶ怨霊も、何処から来たのか定かではない者共も。
 俺の塒を荒らすなら。
 俺の眠りを妨げるなら。
 俺にはそれだけの力があった。
 
 何度、狂った夜宴を経ただろう。
 夜毎に集まるそれらを喰って、俺の妖力は山にいた頃と変わらぬ程度か、それ以上に増えた。
 
 人は来ない。動物も滅多に来ない。「餌」だけは頻繁に来る。
 こんなに都合のいい場所はそうない。
 漸く手に入れた安息の地だった。



 そうして、幾度目かの桜の季節が少し過ぎた頃。
 塒の神社を訪れる者がいた。
 

 人間だった。
 旅装に身を包み、大きな箱を背負った男。笠に隠れた顔は見えないが、概ね若い。
 そいつは廃神社を見物するでもなく、真っ直ぐ俺の所に来た。
 妖術で姿を隠していたにも関わらず、正確に場所を捉え、あまつさえ声をかけてきた。
 無視を決め込む俺に対して、一方的に話しかけてくる変わった男だった。

 男は、「真赭まそお」と名乗った。
 男は、自分よりも遥かに大きな体の俺を恐れなかった。
 小間物売りをしていると自称する男からは、常人よりも強い霊力を感じた。

 人でありながら、「こちら側」と近しい者。
 人の間では「退魔師」や「拝み屋」などと呼ばれている存在だ。
 仮にこの男が退魔師であるならば、俺は討伐対象になるのだろう。
 されど、男からは敵対心や猜疑心などは感じ取れなかった。

 男は、暫く宿を貸してくれないかと頼んできた。
 宿。この廃神社で。
 俺のような妖であれば快適に過ごせる場所だが、人間にとっては入るのさえ躊躇う場所だろうに。
 それとも、屋根があれば何処でもいいのか。

 俺は「否」を通した。
 見知らぬ人間を、それも強い霊力を持った男を、妖の塒に置くのは如何なものか。
 しかも、その妖は夜毎に魑魅魍魎を喰らう化物だ。
 危険視されるか、うっかり顔を見られるかの二択であろう。
 しかし、男は譲らなかった。
 決して危害を加えぬと、食い下がって聞かなかった。
 この男の何がそうさせるのか、俺には理解できなかった。
 人にとって不便極まりない場所で寝泊まりする、その理由は何だ。

 何もかも解せないまま、結局は俺が折れた。
 何を言っても頑として譲らぬ男に疲れた。
 相手にするだけ無駄だと諦めた。
 滞在中の世話などせぬ事と、夜間は決して本殿から出ぬように言うと、男はたいそう嬉しそうに返事した。
 何故。頭の中はそれで埋まった。


 真赭まそおは言いつけを守る男だった。
 夜間は律儀に本殿で大人しくしており、俺に指一本触れることも無かった。
 昼の間は町で小間物を売り歩いているのか、神社からいなくなることが多かった。
 そして、夜になる前には「宿代」と称した人間の飯を持って戻ってくる。
 俺は真赭のいない昼に眠り、夜には今まで通りの「狩り」をした。
 元よりぼんやりと過ごしていたせいもあり、真赭が加わった事で窮屈さは感じなかった。
 同じ時を過ごすうちに、段々と真赭のいる日常を受け入れていった。

 真赭はよく喋る男だった。
 俺が反応しようがしまいが、いつも何かしら話していた。
 それは町の話であったり、売り物である小間物の説明であったり、人間の飯の話であったり。
 興味を持つこともあれば、どうでもいいと思う事もあった。
 俺の反応が悪くても、真赭は楽しそうにしていた。
 共にいる事に慣れはしても、やはり解せぬ男だった。
 俺の素性やら一族の話やらも聞きたがったが、愉快な話題ではなかったので適当に流した。
 唯一まともに教えたのは、「素顔を見せない掟」に関する事だけだった。


 真赭との奇妙な生活は、突然終わりを告げた。
 「一緒に町で暮らしてほしい」と、真赭からの申し出だった。
 俺は否と答えた。当然だ。ここを離れる明確な理由など無かった。
 町で暮らしたければ一人で行けと突っぱねた俺に、真赭はこの神社が危険に晒されていると言った。

 俺の感覚では短い間だったが、人の世は戦乱の時代から泰平の世へと移り変わり、人の暮らしも変わったようで。
 人間同士で殺し合う事こそなくなったが、他にも脅威は存在するらしい。
 それは野生の動物であったり、俺のような物の怪であったり。
 つまるところ、廃神社に住み着いた化物を退治する動きが見られるとの事だった。

 神社を棄てたのは人間だ。
 そこを修理して長い事棲んでいたのに、今更追われなければならないとは。
 不条理さに頭が痛んだが、脅威となる存在が近くにいると人間は安心できぬものなのだろう。
 生物としては正しいのかもしれないが。

 俺としても、人間相手にやり合うのは好ましくない。
 鼠の化物とは違う。奴らは武器を持ち、知恵もある。
 真赭のように、物の怪と戦えるだけの力を持った者を集めているのかもしれない。
 面倒臭い。非常に。

 唸る俺に、真赭は荷物の中から木彫りの面を取り出した。
 白い兎を象った面だった。
 差し出されたそれからは、非常に強い封印術の気配がした。

 真赭は言った。「これを着ければ人間と同じ姿になれる」と。
 力を封印し、人に化け、人の世に紛れて暮らせと。

 馬鹿げた提案だ。
 それに従う義理も義務もない。
 突っ返そうとしたが、真赭は譲らなかった。
 時間がないと、焦った様子で、兎の面を押し付けてきた。

 封印は自力で解けるからと。
 いつでも自分の意志で外せるからと。
 
 普段はへらへらとしているくせに、こういう時は妙に強情なのが真赭だ。
 押し問答も面倒に感じた俺は、結局折れた。
 兎の面は造りがしっかりしているので、今の草や木の皮で作った面より丈夫そうだった。
 顔を見られる心配がないのであれば。


 兎の面を被った瞬間、妖力が面に吸われていくのを感じた。
 人間よりだいぶ高い背はどんどんと縮み、白かった髪は黒く染まっていった。
 妖の特徴は全て消え、ただの人へ。
 瞬く間に変わっていった。

 兎の面をつけた俺は、随分と小柄で非力な存在になった。
 女子供と変わらぬ背の高さで、先程まで見下ろしていた真赭を見上げる。
 その時初めて真赭の顔をまともに見た気がした。
 真赭は──満足そうに笑っていた。

 一瞬騙されたのかと思ったが、兎の面が外れないという事もなく。
 真赭は嬉しそうに俺の手を引いて、神社を出た。
 

 町まで引っ張られてきた俺は、真赭の家で暮らすことになった。
 旅人じゃなかったのか。家があったのか。
 疑問は尽きないが、勝手の分からぬ町だ。これはこれで都合がいいと思う事にした。


 後日、真赭から「あの廃神社が燃やされた」と聞いた。

 妖退治。塒ごと潰す。もう使われていない神社だから。
 人の恐ろしさや思い切りの良さを思い知った気がした。








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