Eno.733 木早 永心 この地での記録12 - はじまりの場所
山に籠り刀を振るう。日々それの繰り返しだ。
人々が招かれ、気楽に楽しむこの島に来てさえ、己はその輪に混ざること少なく、ただ同じ日々を繰り返している。
剣の修行は義務ではない。
だが、己はそれを課せられた義務の様に続けている。
それは何故だ?
以前は…そう以前はまるで考えもしなかった「何故」という言葉がこの頃はよく頭を過る。
「…罪悪感、か。」
その理由を求め思案すれば、己の胸中の奥底にずっしりと居座る感情に気付く。
そう、罪悪感だ。
この罪悪感が、己がただ刀を振るうだけの生き方に「何故」という疑念を抱かせるのだ。
己が情に厚い人間だと思ったことは無い。
寧ろ、よくぞここまで薄情な人間に育ったものだと常々思っている。
しかし、そんな薄情な己でさえ、罪悪感とは無縁では居られぬものなのだ。
「……。」
岩に腰を下ろし、遅くなった昼食を取る。
この昼食はこの島で出会い、度々食料の差し入れをしてくれている方の作ってくれたものだ。
母を思い出す
そんな言葉を伝えたことがある。
つい思わず零れてしまった言葉だが、偽りではない。
母の温かさを思い出させる、そんな人…人だ。
家を飛び出て早、7年近くが経つ。
その間に多くの人と出会い、時には友を得たが、それでも己は根無し草の旅烏。
親しき人を得ても、進む道は必ずや離れるのが必然だった。
だから、人の温かさとは縁が薄かった。
しかし、母を思い出す温かさに触れれば、薄情な己ですら遠き場所に住まう家族を、母を思い出してしまうのだ。
…
……
………
「それでは、さらばです。母上も御元気で。……これは?」
家を発つ日の早朝、その日ばかりは道場での稽古を取りやめ、家族との別れの時を過ごしていた。
そして、いざ出発の時ぞと腰を上げた時、母が一つの古ぼけた御守を渡してくれた。
「それは私が母から…つまり貴方の御祖母様から譲り受けた、霊験あらたかな御守です。
きっと旅の途中、貴方を守ってくれるでしょう。お持ちなさい。」
そんな大切なものは受け取れぬと伝えたが、母は頑として譲らず御守を己の手に捻じ込んだ。
母は常に家族の意向を優先する方であったが、あの時ばかりは強い意志で御守を己に渡した。
「…忝のうございます。」
母に頭を下げ御守を胸にしまうと、家の扉を開けた。
旅立ちを祝福するように、その朝は青い空が広がっていた。
雲一つない快晴だった。
閉塞感を感じていた家を出る。
親不孝な己が我儘を言って一人去ることで、この家もまた良い方向に向かうであろう。
和尚に乗せられたとはいえ、それでも、己が選ぶ最善の道。
それが当時の己の判断だ。
当時の己の選択の是非を今更悔いることは無い。
家を出ずに居れば、己はきっと将来家族を憎むことになっていたであろう。
それが己の性分。
だが、最後に家を振り返った時、母は泣いていたのだ。
それは己の胸に忘れぬ罪悪感を残した。
………
……
…
懐を探り母から譲り受けた御守を取り出す。
古ぼけたその御守は、母から譲り受けたあの日よりも酷い有り様である。
御守の布地には大きく裂けた跡が残っている。
数年前、ある諍いに巻き込まれた際に、飛んできた弓矢を躱し切れず、もはやこれまでと覚悟したが…
弓矢は御守が食い止めてくれ、己は生を永らえることが出来たのだ。
「まこと、霊験あらたかな御守です。母上……。」
御守に一礼をすると刀を抜き放つ。
日課となった剣の修行癖はどんな時でも、己を自然と動かす。留まることを善しとしないのだ。
罪悪感は御守と共に懐の奥にしまいこむ。
「何時か…何時か、またお会いする日がくれば、その時は感謝の言葉を伝えます。」
感傷にかられて家に戻ることを考えることもあるだろう。
しかし、その結果が良い方に転ぶかは分からない。
無用な波風を立てる結果になるかもしれぬのだ。
今は浮き草の根無し草で良いだろう。
何時か何時の日にか、頭を下げに行きます。
人々が招かれ、気楽に楽しむこの島に来てさえ、己はその輪に混ざること少なく、ただ同じ日々を繰り返している。
剣の修行は義務ではない。
だが、己はそれを課せられた義務の様に続けている。
それは何故だ?
以前は…そう以前はまるで考えもしなかった「何故」という言葉がこの頃はよく頭を過る。
「…罪悪感、か。」
その理由を求め思案すれば、己の胸中の奥底にずっしりと居座る感情に気付く。
そう、罪悪感だ。
この罪悪感が、己がただ刀を振るうだけの生き方に「何故」という疑念を抱かせるのだ。
己が情に厚い人間だと思ったことは無い。
寧ろ、よくぞここまで薄情な人間に育ったものだと常々思っている。
しかし、そんな薄情な己でさえ、罪悪感とは無縁では居られぬものなのだ。
「……。」
岩に腰を下ろし、遅くなった昼食を取る。
この昼食はこの島で出会い、度々食料の差し入れをしてくれている方の作ってくれたものだ。
母を思い出す
そんな言葉を伝えたことがある。
つい思わず零れてしまった言葉だが、偽りではない。
母の温かさを思い出させる、そんな人…人だ。
家を飛び出て早、7年近くが経つ。
その間に多くの人と出会い、時には友を得たが、それでも己は根無し草の旅烏。
親しき人を得ても、進む道は必ずや離れるのが必然だった。
だから、人の温かさとは縁が薄かった。
しかし、母を思い出す温かさに触れれば、薄情な己ですら遠き場所に住まう家族を、母を思い出してしまうのだ。
…
……
………
「それでは、さらばです。母上も御元気で。……これは?」
家を発つ日の早朝、その日ばかりは道場での稽古を取りやめ、家族との別れの時を過ごしていた。
そして、いざ出発の時ぞと腰を上げた時、母が一つの古ぼけた御守を渡してくれた。
「それは私が母から…つまり貴方の御祖母様から譲り受けた、霊験あらたかな御守です。
きっと旅の途中、貴方を守ってくれるでしょう。お持ちなさい。」
そんな大切なものは受け取れぬと伝えたが、母は頑として譲らず御守を己の手に捻じ込んだ。
母は常に家族の意向を優先する方であったが、あの時ばかりは強い意志で御守を己に渡した。
「…忝のうございます。」
母に頭を下げ御守を胸にしまうと、家の扉を開けた。
旅立ちを祝福するように、その朝は青い空が広がっていた。
雲一つない快晴だった。
閉塞感を感じていた家を出る。
親不孝な己が我儘を言って一人去ることで、この家もまた良い方向に向かうであろう。
和尚に乗せられたとはいえ、それでも、己が選ぶ最善の道。
それが当時の己の判断だ。
当時の己の選択の是非を今更悔いることは無い。
家を出ずに居れば、己はきっと将来家族を憎むことになっていたであろう。
それが己の性分。
だが、最後に家を振り返った時、母は泣いていたのだ。
それは己の胸に忘れぬ罪悪感を残した。
………
……
…
懐を探り母から譲り受けた御守を取り出す。
古ぼけたその御守は、母から譲り受けたあの日よりも酷い有り様である。
御守の布地には大きく裂けた跡が残っている。
数年前、ある諍いに巻き込まれた際に、飛んできた弓矢を躱し切れず、もはやこれまでと覚悟したが…
弓矢は御守が食い止めてくれ、己は生を永らえることが出来たのだ。
「まこと、霊験あらたかな御守です。母上……。」
御守に一礼をすると刀を抜き放つ。
日課となった剣の修行癖はどんな時でも、己を自然と動かす。留まることを善しとしないのだ。
罪悪感は御守と共に懐の奥にしまいこむ。
「何時か…何時か、またお会いする日がくれば、その時は感謝の言葉を伝えます。」
感傷にかられて家に戻ることを考えることもあるだろう。
しかし、その結果が良い方に転ぶかは分からない。
無用な波風を立てる結果になるかもしれぬのだ。
今は浮き草の根無し草で良いだろう。
何時か何時の日にか、頭を下げに行きます。