Eno.341 カプリコパン・パフラパン 二歩目 - はじまりの場所
「なぁなぁ爺。どうして勉強をしなきゃならねーんだ?」
十に届くか否か、あるいは人間であれば学校に通い始めた時分程の小柄な背丈だった。
小さな山羊の獣人は古びた机の前に向かい、採点されたばかりの答案用紙を前にしてうんざりした調子で言う。
隣の椅子に座る身なりの良い70代程の老紳士は、薄い色のブロンドヘアに手をあて、赤バツがついた答案を横目に苦笑いを浮かべた。
「意地悪な大人に騙されないようにするためですよ、カプ」
「でも爺は同族と違ってやさしーし、ずっとここにいたら安全だろー」
「そうもいきません。この老体とていつまでもキミ達を養える元気があるか分かりませんから。
いつか別れるとなった時、それが唐突であれ早くに受け入れて貰った上で、自立して貰わなければ困ります」
老紳士は迫害、または排他された異種族を集めては世話を焼くのが趣味だった。
人の世で生きる術を身に着けて、帰る場所がなくても大丈夫なように、自らの足でその場所を見つけられるようにと。
人間以外のそれらに目を向ける奇特さから、老紳士は介護する使用人以外の人間とは意思疎通を取ろうとしない人だった。
「スケールを小さくしましょう。
もしもカプが街でお使いをしていた出先で、店主がお釣りを誤魔化してきたらどうしますか?」
「ブン殴って引き回しする」
「人の世ではそれを暴行と呼ぶんですよ。
あなたの里ではそのようにしても赦されたと思いますが、故郷を出て外で暮らすならまず話し合いをする事です。落ち着きも必要ですね」
老紳士はわしゃわしゃと山羊の獣人の頭を撫でる。
「そもそも誤魔化したことに気付けるか、それを養うのも肝要です。
おつりを再計算をする、あるいは相手の動作や思考に気を配る。どんなアプローチでも間違いはないしキミが選んだ方法を僕は尊重します。
大事なのはまず手を出さずに冷静に、一歩分の線を引いて考える事です」
「考えるのってムズいな」
「キミが立派な英雄になって父君に認めてもらうためにも、腕っぷしが強いばかりではいけません。
杖術の稽古でもよく僕に転ばされているでしょう。相手を観察して弱い所を突いているから出来ることです」
「それが考えるってぇこと?」
「その通りです」
そこで何かを考えるように、山羊の獣人は自分の顎先に指をあてる。
「考えんのムズいから爺の真似っ子したい」
老紳士にその指を差し向けた。
老紳士はやはり苦笑いを浮かべた。
「横着ですが発想は悪くありません。子は親を見て学ぶように、人は誰しも真似をしているものですから。
しかしてこのような老骨の真似となると、まずは所作や言葉遣いから真似ねばなりませんね」
「爺が食べてる時の、テーブルマナーってやつ?」
「そう仰々しいものではありません。音を立てず静かに食べ、しかし朗らかに談笑するくらいです。
我々の宗派のお祈りに付き合う必要もありませんし、あなたは雁字搦めになるより自由でいる方がずっと良い」
「家でも祈っていたけどさ」
「あなたが家の、故郷とのつながりを大事にしたいならそちらの方式ですれば宜しい。僕には僕のやり方があるからね。
真似をしてもしきれない部分は宗教や価値観の違いのようにどこかで出てきます。そこは独学で頑張らないといけませんね」
十に届くか否か、あるいは人間であれば学校に通い始めた時分程の小柄な背丈だった。
小さな山羊の獣人は古びた机の前に向かい、採点されたばかりの答案用紙を前にしてうんざりした調子で言う。
隣の椅子に座る身なりの良い70代程の老紳士は、薄い色のブロンドヘアに手をあて、赤バツがついた答案を横目に苦笑いを浮かべた。
「意地悪な大人に騙されないようにするためですよ、カプ」
「でも爺は同族と違ってやさしーし、ずっとここにいたら安全だろー」
「そうもいきません。この老体とていつまでもキミ達を養える元気があるか分かりませんから。
いつか別れるとなった時、それが唐突であれ早くに受け入れて貰った上で、自立して貰わなければ困ります」
老紳士は迫害、または排他された異種族を集めては世話を焼くのが趣味だった。
人の世で生きる術を身に着けて、帰る場所がなくても大丈夫なように、自らの足でその場所を見つけられるようにと。
人間以外のそれらに目を向ける奇特さから、老紳士は介護する使用人以外の人間とは意思疎通を取ろうとしない人だった。
「スケールを小さくしましょう。
もしもカプが街でお使いをしていた出先で、店主がお釣りを誤魔化してきたらどうしますか?」
「ブン殴って引き回しする」
「人の世ではそれを暴行と呼ぶんですよ。
あなたの里ではそのようにしても赦されたと思いますが、故郷を出て外で暮らすならまず話し合いをする事です。落ち着きも必要ですね」
老紳士はわしゃわしゃと山羊の獣人の頭を撫でる。
「そもそも誤魔化したことに気付けるか、それを養うのも肝要です。
おつりを再計算をする、あるいは相手の動作や思考に気を配る。どんなアプローチでも間違いはないしキミが選んだ方法を僕は尊重します。
大事なのはまず手を出さずに冷静に、一歩分の線を引いて考える事です」
「考えるのってムズいな」
「キミが立派な英雄になって父君に認めてもらうためにも、腕っぷしが強いばかりではいけません。
杖術の稽古でもよく僕に転ばされているでしょう。相手を観察して弱い所を突いているから出来ることです」
「それが考えるってぇこと?」
「その通りです」
そこで何かを考えるように、山羊の獣人は自分の顎先に指をあてる。
「考えんのムズいから爺の真似っ子したい」
老紳士にその指を差し向けた。
老紳士はやはり苦笑いを浮かべた。
「横着ですが発想は悪くありません。子は親を見て学ぶように、人は誰しも真似をしているものですから。
しかしてこのような老骨の真似となると、まずは所作や言葉遣いから真似ねばなりませんね」
「爺が食べてる時の、テーブルマナーってやつ?」
「そう仰々しいものではありません。音を立てず静かに食べ、しかし朗らかに談笑するくらいです。
我々の宗派のお祈りに付き合う必要もありませんし、あなたは雁字搦めになるより自由でいる方がずっと良い」
「家でも祈っていたけどさ」
「あなたが家の、故郷とのつながりを大事にしたいならそちらの方式ですれば宜しい。僕には僕のやり方があるからね。
真似をしてもしきれない部分は宗教や価値観の違いのようにどこかで出てきます。そこは独学で頑張らないといけませんね」