Eno.1 椋 京介  はなのきもち - はじまりの場所




毒を持つ生き物はなぜ己の毒に侵されないのだろうか。




毒を持つ生き物は多い。
フグ、ヘビ、サソリ、キノコ...人を死に至らしめるものだけでも数多く、
ムカデ、カエル、アリ、漆...死に至らずも毒となるものはより多い。

しかし、これらの"毒"は人にとって一般的な毒になりうるものを羅列したに過ぎない。
ネギ、ニンニク、チョコレートなど、人間にとっては益となるものでも、
他の生き物によっては猛毒となるものもまた多い。

種族間による違いに限らず、同じ人という種族であっても、
蕎麦が猛毒になるものも、そうでないものもいるし、
その身をもって蛇毒を克服したものもいる。


結局はその"毒"との関係性において毒となりうるか、なのであろう。
そしてそれは、己の身に宿る"毒"においても変わらないのかもしれない。

己とその"毒"とが関わり合い、その上でそれを毒とするか。
毒かどうかは、その服まれたものとの関係性によって決まるとも言い換えられる。




フグやヘビなどは、それを食べたり触れたりすることで毒を受けるものにすぎない。
毒は関係性で決まるというのであれば、
見たり聞いたり言葉を交わしたり、
そういったものでも毒となりうるかは決まるのかもしれない。


たとえそれが、人同士であったとしても。












京介
「...インセンス。」


京介
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
 その身に毒を湛える君は。」


京介
「君の毒はどんなふうに作用して、
 君は何を思って毒を含んだのだろうか。」


京介
「他の動物に食べられないようにするためか。
 はたまた、自分のことを毒と思わない者に出会うためか。」


京介
「...僕はわからない。
 それでも僕は...」


京介
「君の思いは、きっと澄んだものだと僕は思うよ。」











人を拒む毒の舌を持つものは、きっと敵を多く作ってしまうかもしれない。
それでも、心の傷を癒すにはためには必要な薬なのかもしれない。

八方に美人を振りまく蜜の舌を持つものは、きっと敵は少なく安全を得られるかもしれない。
けれど、きっと心許せる仲間も少なく、安寧は得られないのかもしれない。




誰にとっても毒、などという単一の役名を持つものなど、
この世にはありはしないのだから。






Fno.15 インセンス


「わたしは見たのよ。
 あの花は、水鏡に映った自分の姿を見て、ふるふると震えていたわ。
 ――まるで自分の美しさに酔いしれるみたいにね」

そう語るのは、この世界に住む魔女の一人である「ミルラ」だ。彼女は花を用いた魔法の研究中、水辺に咲いたインセンスの群生を観察していた時の出来事を語った。

インセンスは、白や黄色のラッパ状の花を咲かせる多年草で、一本の茎から咲き上がるその姿は、まるで舞台に立つ独奏者のようでもある。
ただしその麗しさの裏には強い毒性が隠れており、とりわけ球根には、命に関わるほどの猛毒が含まれている。

昔、インセンスに恋をした男がいた。
彼は水面に映ったその花を、誰よりも美しいと思い込み、毎日その姿に語りかけ、やがて男は口付けをするように水を飲もうと水面へ口を近づけた。
しかし水面に映っていたのは、花ではなく、美しく映っていた自分自身だった。
男は徐々に衰弱していき、やがてその命は絶たれてしまうこととなった。
彼は最後の瞬間まで、それが自分であることに気づかなかった。あるいは、気づいていたのかもしれない。

この逸話にちなみ、インセンスは「自己愛」の花言葉を持つ。だがそれは決して悪しき意味ばかりではない。
魔力を扱う者にとって、「己を知り、己を愛する」ことは、もっとも根源的な資質でもあるからだ。

「ただし、自分の写し身に呑まれないように。
 インセンスの毒が染み出した水に映る姿は、少しだけ本物より綺麗に見えるって話よ」

そう言って、ミルラは手にした薬瓶の中で、乾いた花びらを一輪、そっと回してみせた。



 








<< 戻る << 各種行動画面に戻る