Eno.733 木早 永心  この地での記録8 - はじまりの場所

 鍛錬によく籠るせせらぎの河原、そこでの修練の最中、ふと懐かしい香りを感じ右眼を開けた。
開けた視野に想像した姿の花が映る。
この島独特の固有種では無いので花図鑑には記されない、名も知らぬ花。
歳月の経つことの早き事よと、思わず溜息を吐く。

 もう五年ほど前になるのか。
懐かしい香りに刺激され、脳裏に過去の記憶が想起された。

 当時は漸く眼を閉ざしたまま行動できるようになった時分だったか。
なまじ眼を閉ざしたままでも動けるという過信が有ったのだろう。
自分の感覚を信じ目的の町へと向かって歩いていたが、不覚にも道を誤ったらしい。
暫く眼を閉ざしたまま道を歩いてしまい、危うきを感じた時には自分が何処を歩いているのか、眼を開き地図を広げても分からぬ状況だった。
そして、遂には食料も切れ河原で倒れこんでしまった。

「オメェさん、大丈夫かい?」

 身動きの出来ぬ己にふと声が投げかけられた。
何とか起き上がると、其処には男と、若い娘の二人組が心配そうな表情を浮かべ立っていた。
命を救われた場面だからだろうか、河原に生えていた花の香りが強く印象に残っている。

 旅の最中だという二人は親子らしい。
二人に救われた己は向かう目的地が同じだった縁も有り、暫く道中を共にすることになった。
半月ほどの旅路であったろうか。

 男は市兵衛という名で、娘はお花というらしい。
市兵衛は商人で妻を早くに亡くし、お花と二人で暮らしていたそうだ。
商人として成功したが、店を後継に任せ隠居する為に故郷へ向かっているという。

 道中で二人とは色々な話をした。
旅人同士、いずれは手を振り別れる間柄だったので自然に身の内を語ることも出来た。
故郷の話や年齢、その他の他愛のないことまで。
己が眼を閉ざしたまま歩くのを見て驚かれもしたし、心眼の話をすれば多少引かれもした。
まあ、それでも旅の共など居らぬ日々を過ごしていた己には面白き日々だった。

 街道の町を幾つか進み、次の町が互いの目的地であり、別れの場所でもある。
名残惜しい、そんな思いを胸に抱いたその日の夜にあの出来事は起きた。

 宿で夕餉を済ませ後は寝るだけとそんな時分に宿の周囲を囲む不穏な気配を感じた。
二階より外を窺えば、何やら役人らしき格好の男達が6名ほど灯りを携えている。

「御用である、御用である。我ら奉行所のものである。神妙にせよ!」

 男達の中でも身分の高そうな衣装に身を纏った男が、我らの泊まる宿に向かって叫んだ。
その声に他の宿泊客らも驚き外の様子に気づく。


……
………

「盗賊、浮き草の勘五郎。貴様がこの宿に居ることは分かっている。大人しく縄につけ!」

 宿の者達が悲鳴を上げる。

 『浮き草の勘五郎』

 それはこの地域では悪名高い残忍な盗賊だった。
そんな恐ろしい者が同じ宿で寝泊まりしていると分かれば自然な反応だと言える。

「……。」

 どうしたものかと階下の役人たちを眺めて思案していると、己の想定外の出来事が起きた。
市兵衛が短刀をお花に突きつけ、宿の前へ現れたのだ。

「へっ、テメェら良く嗅ぎつけやがったな。
 だが、そう簡単にお縄になる浮き草の勘五郎様じゃねぇぞ!」

 市兵衛…いや、浮き草の勘五郎は荒々しい表情を浮かべ、お花を人質に宿からの逃走を試みた。
無論、奉行所の男たちはそれを防ごうと勘五郎の周囲を囲み刀を抜く。

「市兵衛殿、落ち着くのだ。
 このままではお花殿の身も危ういぞ。」

 慌てて階下に降りた己が勘五郎に声をかける。
短刀をお花に突きつけている勘五郎に向ける台詞としては適切では無かったかもしれないが…。

「ば、馬鹿かテメェ、状況をよく見ろ。」

 己の言葉に呆然とした顔で言葉を返す勘五郎。

「貴様は報告に有った勘五郎の仲間だな?」

 奉行所の男たちが己に視線を向ける。

「はっ、親子三人連れなら上手く誤魔化せると思ったんだがな!
 残念だったな、そいつとこの女はただの眼くらましよ!」
 
 奉行所の男たちをあざ笑うように勘五郎が言う。
そのまま僅かな間、膠着状態が続いたが、奉行所の男たちは痺れを切らし、勘五郎へとにじり寄って行った。
人質の命より勘五郎の捕縛を優先したということだろう。
このままではお花殿の命も危うい、そう思い意を決し勘五郎の方へ走った。
奉行所の男たちの輪を抜け、勘五郎に迫る。

「永心!? 何の真似だ…っ!」

「大人しくお縄につきなされ、勘五郎殿。
 この状況ではどうにもならぬのは明白であろう?」

 鞘から抜いた刀を勘五郎に向ける。
勘五郎は短刀をお花に突きつけたまま叫ぶ。

「テメェに人が斬れるのかい? いや、斬れねぇよな。お花の命もかかっているんだ。」

「だから斬れるのですよ。お花殿の命を助ける為ならお主の命を奪う、それも仕方なし。
 さぁ、神妙にその短刀を捨てなされ。」

 一歩、二歩と近寄る。

「く、くそがぁぁっ。」

 勘五郎が弾かれた様にお花を突き飛ばすと、短刀を己に向かって振りかざしてきた。
その勘五郎を一刀の元に斬る。
崩れ行く勘五郎に囁いた言葉は届いただろうか。

「お主に救われた恩は忘れませぬ。」

………
……


 奉行所を出ると深々と頭を下げるお花殿。
取り調べを終えた己とお花が解放されたのは数日後のことだった。

「これを…。」

 己は奉行所から受け取った『浮き草の勘五郎』の懸賞金をお花殿に差し出す。
驚いた表情を浮かべたお花殿は慌てて受け取りを拒否した。
曰く、盗賊から救われた身で御礼を申すべきなのに、お金まで受け取るわけには行かぬと。

「御父上の命を奪った者としても受け取るわけにはゆきませぬ。
 せめて、娘の為に役立てて貰うのが勘五郎殿の為かと。」

「父上って…あれはお芝居ですよ、私は勘五郎に無理やり娘の役を…。」

「某、眼を閉ざしている分、耳敏く小さな声も聴こえてしまうのですよ。」

 その言葉に青ざめるお花殿。

「……気づいていらしたんですね。」

 道中、二人の内密の話を幾つか聴いてしまった。
二人は真の親子であること、勘五郎が己を救ったのは気まぐれだったが、己は普段は眼を閉じているので手配書なども見ないことから、眼くらましに都合が良かったことなど。

「勘五郎殿は確かに悪人だったのかもしれませぬが、己を救ってくれた事実は変わらぬですからな。」

「なら…何故、何故父を斬ったのですか!?」

「…勘五郎殿が望んだからです。
 あの芝居の幕引きとして、勘五郎自身がそれを選ばれた。」

 それはきっと捕縛され取り調べを受ける内に、お花殿が実の娘だと何かの拍子に発覚することを恐れたのではないだろうか。
故に、勘五郎殿は斬られるために己に向かってきた。 

「それでは、ここでお別れです。お花殿、世話になりました。」

「永心さんも……本当にお世話になりました。」

 こうして半月ばかり旅を共にした二人とは別れ、己はまた一人の旅に戻った。








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