Eno.733 木早 永心  この地での記録7 - はじまりの場所

心眼に纏わる御伽噺は確かに以前、和尚の語りの中に有ったと記憶している。
戦の負傷で瞳を閉ざされた剣士がそれでも剣の道を諦観することなく歩み、何時しか心の眼で自在に周囲を察知、それどころか、人の心まで見抜いたという。
世には雷を斬っただの、竜を屠っただのと多くの剣士の伝承が有るが、心眼の剣士もまたその一つだ。

「覚えていますが、それが?」

 和尚の方を振り返り怪訝な眼で彼を見た。
己が真剣な話をした後に、何を唐突に…と思ったのだ。
振り返れば、和尚は衣の裾より目隠しの布を取り出し、両眼を布で塞いでいた。

 普段、和尚が昼寝をする際にあの目隠し布で日差しを遮っていたことを見たことがある。
布の表面には何時の日か、子どもがふざけて墨で描いた両眼が描かれていた。

「拙僧も、心眼を学んでいましての。
 坊の自慢の剣を全力で打ちかかって来なさい。
 悩みを打ち明けてくれた御礼に、幻の心眼をお見せしましょう。」

「…っ、御冗談を。」

 布で両眼を閉じた状態で己の剣を捌くなど、剣術道場の主である父でさえ不可能である。
だが、執拗に笑い手招きまでする和尚の姿に、本当ならば見てみたいと思い、ついに木刀で斬りかかっていた。
無論、全力で打つことなどは出来ぬ、大怪我にならぬ様に手加減してだが。

 剣は避けられた

 そして、あっという間に和尚に手を取られ背負い投げをくらってしまった。

「馬鹿な…っ。」

 投げられ、仰向けになった地面より天を仰ぎながら、今の光景が信じられなかった。
心眼など、心眼などある筈が無いのだ。

「ハッハッハ、心眼などある筈がない、そう思い手加減なさいましたの。
 しかし、拙僧も以前は探索者として武芸を磨いた身、そんな半端な剣など捌くこと容易いものです。」

「それでも…眼の見えぬ身で何故…。」

 確かに手加減をしたのだから、武芸者としての過去を持つ和尚ならばそれを捌くことは出来ただろう。
しかし、それは両の眼を開いた状態ならばの話だ。
笑いながら地に仰向けになる己を和尚が覗き込み笑う。

「フッフ…種を明かしましょう。
 この布には僅かに切れ目が入っていましての、視野こそ狭いのですが完全には塞がれておらぬのです。
 その上で、坊は決して全力では打ち込んで来ぬと確信しておったのですよ。」

「だ、騙しではないか! 何が心眼か!」

「如何にも、拙僧の心眼は騙しの詐術。
 …ですが、世の中は広く、とても広うございます。
 真の心眼を持つ者が居るやもしれませぬぞ。」

「…居るか居ないかなど、どうでも良いではありませぬか。」
 
「坊、広く広く視野を持ちなされ。
 狭い視野に囚われておっては、心はすぐに闇に塞がってしまいます。
 今の坊が些細な悩みで苦悩しているように。」

「ぐ…っ、自分の視野が狭い…と?」

「狭い、狭過ぎますな。
 だから、簡単な詐術にころりと騙され、こうして地面に転がっておりまする。」

 ハハハと笑うと、不意に拙僧も以前は坊と似た境遇でしたよと告げた。
聞けば、若かりし和尚が流浪の武芸者の路を歩み始めたのは、己と似たように格闘術道場に生まれ、跡目争いが有り、そして敗れたからだとか。

「今では笑い話ですがの。
 拙僧は長男の立場でしたよ、しかし…弟の強さに敗れました。」

 弟に道場の跡目争いで敗れた兄として屈辱を抱えながら家を飛び出し、武者修行をし…何時の日にか弟に勝ち、誇りを取り戻したい。
その一心で諸国を巡った。

「しかし、拙僧が家に戻った時には弟は病を得て、もはや闘える身では無かったのですよ。」

「…では、和尚が道場を継がれたので?」

 己の問いに首を横に振る和尚。

「拙僧は継ぎませんでした。幸い弟には幼い子が居りましての。
 その子を拙僧が鍛え、目途が立ったところで、拙僧も道場を去りました。」

「……。」

「人生など何が起こるか分からぬものです。
 まさに一寸先は闇、ならば…楽しく気ままに人生を楽しんだ方がお得だと思うようになりました。
 再び旅路に出て、流れ流れて何の御縁か、この町の小さな寺の和尚に収まった訳です。」

「一寸先は闇が人生ですか…。」

「左様、拙僧の考える心眼とは、そんな闇すらも明るく見通すことの出来る心の有り様なのです。」

「……。」

「坊、現の眼を一旦閉じてみては如何かの?
 誰しもが見たことのない心眼を、坊が会得するのです。」

「は?」


……
………

 和尚の掌で踊らされているようで癪に障るが、十五の齢で父の技量を超えた己は意を決して、父に心眼を会得する旅に出ると告げた。
勿論、父も母も妹も、そして跡目を争う立場である兄も己の考えを改めるように説得してくれた。

 お前の剣は天賦のものだ、夢の様な胡散臭い話に騙されるな

 良い家族を持ったなとつくづく思う。
だからこそ、己はこの兄を尊敬するし、兄の将来を暗く閉ざしたくはない。
きっと、この兄は己の様には和尚の言葉に騙されてはくれないだろう。
生真面目で賢い御人だ。

「だからこそ、生涯をかけて追うべきなのです。」

 和尚の様に笑うと、いずれ心眼を会得してお披露目致すと告げると、己は故郷を去った。
眼を閉じ、片眼を布で隠す…無論、和尚の様な詐術ではない、視界は塞がれる。
真に心眼たる技術を会得できるのかは分からなかったが、まるで幼き頃に戻ったかのように胸は晴れ晴れとしていた。

「そうだ、名前も改めよう。
 今日から自分の名は"永心"だ。」

 栄えるよりも、この心を永く持ちたい。 








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