Eno.1 椋 京介  はなのきもち - はじまりの場所




四つ葉のクローバーを見て幸運を思うのは何故だろうか?




四つ葉のクローバーは貴重で、ほとんど見つからないからこそ、
見つかったからこそ幸運なのだろうか?
でもそれは、"幸運の四つ葉のクローバー"という逸話から、
幸運の為に四つ葉のクローバーを探すように思わされたのかもしれない。

探す必要もなかったのに、"幸運の四つ葉のクローバー"を探すことは、
果たして幸運なのだろうか?


転んだ先にある四つ葉のクローバーは、
果たして幸運なのだろうか?

雨で足止めを食らった所で見つけた四つ葉のクローバーは、
果たして幸運なのだろうか?



どう思うかは人それぞれであるべきなのに、
世界の中で僕らはそう"思わされる"











京介
「...シロツメ。」


京介
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
 幸運にその身を覆われる君は。」


京介
「常に良いことが起こることは幸運なんだろうか。
 幸運と思われ、幸運を求められ続けるのは幸運なんだろうか。」


京介
「君は...そんなしがらみに対してどう思っているのだろうか。
 君の花にも目もくれず、葉の枚数にしか興味を向かれない君は。」


京介
「...僕はわからない。
 それでも僕は...」


京介
「君の花は美しいと思うよ。」











"幸運"は良い意味だから、
そう思わされてもいいんじゃないか?なんて言ってしまったら、

じゃあ"不幸"とされるスカビオサの花は、
悪い意味だから消し去られるべきだ、ということになってしまう。

幸も不幸も、各々が自由に思うものなのに。






Fno.14 シロツメ


冬を彩る植物の数はそれほど多くないが、シロノメは庭園において決して少なくない役割を持っている。
室外の花壇では育たない花がある時期でも、庭園の象徴とも言える大きな花壇を決して空席にはしないためだ。

シロノメは寒さに対して非常に強く、氷点下の温度にすら耐える特徴を持つ。
またシロノメはほとんど施肥を必要とせず、土壌の栄養をほとんど吸い上げることなく育つ。
すなわち斑紋を持つ独特な葉と、白くふわふわとした可憐な花は、主役たちの休憩を支える影の立役者である。

このような特性を除いても、可愛らしい花と見応えのある斑紋を持った葉は花壇のグラウンドカバーとして、あるいは吊り鉢などの寄せ植え材料として愛用されている。
小さな葉や花が密集して広がるその様子は、花壇の主役を引き立てる緑の絨毯としても、場面を問わずにその役割を全うする。

その他の特異な点として、本来3枚葉のシロノメの中に、稀に4つの丸い葉をつけるものが存在していることが挙げられる。
この珍しい4枚葉を見つけた者には幸運が訪れるのだとか。

ところで、いわゆる「幸運な人」と呼ばれる人がいる。
けれど本当のところ、四つ葉のシロノメが他の花より特別に力を持っている、という証拠はない。
ただ「それを見つけた人」が、自分を幸運だと思えるかどうか――それだけなのだ。

石ころを踏んで転んだ子供が、「この花がクッションになったからケガをしなくて済んだ」と笑えば、その一輪は確かに幸運を運んだ花になる。
旅人が雨宿りの道すがら、草むらに四つ葉を見つけ、「珍しい。足止めも悪くない」と思えば、それはやはり幸運なのだ。

幸運とは、天から落ちてくる金貨のように与えられるものではない。
どんな出来事にも小さな光を見つけ、それを「嬉しい」と抱きしめられる心の在り方こそが幸運なのだろう。

だから、シロノメの花言葉は「幸運」とされる。
それはただの占いや迷信、そして偶然などではなく、人が世界をどう見つめるかということを、この花が静かに教えてくれているからである。

 








<< 戻る << 各種行動画面に戻る