Eno.1 椋 京介 はなのきもち - はじまりの場所
共生関係とは、違う生き物同士が互いに影響を与え合いながら、
共に生きることを指す。
クマノミとイソギンチャクのように、互いに互いを守ったり、
クマと旋毛虫のように一方がもう一方に寄生するものもある。
けれど、違う生き物が互いに影響を与え合いながら共に生きる、というのは
別段、そういった者達だけに限らないと思っている。
人は皆、様々なものを通じて緩やかに繋がりあっている。
例えば、素性も知らない農家が作ったものを食べているし、
素性も知らない作業員が整備した道路の上を歩いているし、
素性も知らない人が行き交う道やインターネットの中を生きている。
もっといえば、そういった技術を産んだ過去の人物とも関係があるとも言えるし、
そういった技術を有無に至った国土を守った人物とも関係があるとも言える。
そうやって、様々なものが緩やかに繋がった社会の中で、
人々は共に生きていることを共生状態と言わずしてなんと言うのだろうか。
しかし、その緩やかに繋がった共生状態の中で、
クマノミとイソギンチャクであるか、
クマと旋毛虫であるかはどのように決まるのだろうか。

京介
「...サンダニア。」
「...サンダニア。」

京介
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
その身に虫を宿す君は。」
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
その身に虫を宿す君は。」

京介
「君は虫と共に生き、虫と通じあっているのだろうか。
もしくは、通じ合えずにいるのだろうか。」
「君は虫と共に生き、虫と通じあっているのだろうか。
もしくは、通じ合えずにいるのだろうか。」

京介
「君は...虫にそうさせられているのか、
はたまた、虫にそうさせているのか。」
「君は...虫にそうさせられているのか、
はたまた、虫にそうさせているのか。」

京介
「...僕はわからない。
それでも僕は...」
「...僕はわからない。
それでも僕は...」

京介
「そのどちらでもなければ、良いなと思うよ。」
「そのどちらでもなければ、良いなと思うよ。」
クマノミはイソギンチャクを護らんという意志があり、
イソギンチャクはクマノミを護らんという意志がある。
旋毛虫はクマから栄養を吸い取らんという意志があるが、
クマは旋毛虫を取り入れんとする意志はない。
Fno.12 サンダニア
庭園の夜道を照らすのに、実は火も電気も使われていない場所がある。その代わりに、そうした道にはサンダニアが植えられている。
サンダニアはランタンや釣鐘のような形の花をぶら下げ、可愛らしく咲く花が特徴だろう。その柔らかな黄色やオレンジ色の花は、草丈の高さもあって花壇をひと際華やかに仕立ててくれる。
しかしこの花の一番の特徴は、野に咲くランタンとも呼ばれることにある。サンダニアの花はある種の虫を呼び寄せる特徴があり、その輝きは夜道を照らすほどの明るさとなる。
花は虫の住み家として、虫は受粉を助け、こうした共生によってサンダニアはランタンのように明るく輝くのだ。
もっとも全てのサンダニアの花がランタンのように輝くわけではなく、道沿いに植えられたサンダニアはハナコたちの手が加わっている。
野に咲き、自然に輝くものは、昔から「自然の祝福を受けた」などと貴ばれており、これが花言葉の由来と言われている。