Eno.1 椋 京介  はなのきもち - はじまりの場所




花は何も語らない。
ただそこに咲いていて、丸い花弁を陽だまりのように広げているだけだ。



人と人とは、言葉を介してコミュニケーションを図る。

けれど、言葉とはなんと不自由なものか、と思わざるをえない。
なぜなら、言葉はその真意を写し出すものと言うには、
あまりにも、あまりにも頼りないからだ。

深刻な怪我をした者が、周りを心配せんと放つ"大丈夫"も、
瓦礫の下で埋もれながらも、周りの者の救助を優先するように放つ"大丈夫"も、
もちろん、大した怪我や心労ではないことを示す"大丈夫"も、

同じ"大丈夫"fineという言葉で表されているが、
その真意は全く異なるものではないか。


言葉に込められる意味はそう多くない。
それでも人と人は言葉を通じて心を通わせる。

人間には、言葉から心を汲み取る特殊な力があるのか、
人間には、言葉に特殊な何かを込める力があるのか。




花は何も語らない。
ただそこに咲いていて、丸い花弁を陽だまりのように広げ、
何を伝えようとしているのだろうか。











京介
「...ファイン。」


京介
「何を見て、何を感じて、何を思っているんだろうか。
 陽だまりのように咲く君は。」


京介
「君は不器用な花なのかもしれない。
 器用に想いを伝えられないだけかもしれない。」


京介
「君は...そうして咲いて、何を伝えようとしているのだろうか。
 もしくは、伝えたくないのだろうか。」


京介
「...僕はわからない。
 それでも僕は...」


京介
「君にもきっと、心を通わせるものがいるといいな。」




花は何も語らない。

それは、口がないから語ることができないだけかもしれないし、
それは、何かを語る程の意志がないのかもしれないし、
それは、何かを伝えるのに言葉など不要なだけかもしれない。








Fno.8 ファイン

ファインは、まんまるに咲いた花びらがふわふわと重なり、陽の光を抱きとめたように輝く。
その色は黄色や橙色――見上げれば太陽、見下ろせば焚き火。
ひとつ咲いているだけでも、周りを明るくしてしまう、不思議な力を持っている。

ある日、勉学に励む若者がいた。
何度挑戦しても文字は滲み、計算は崩れ、紙の上は失敗だらけ。
「もうだめだ」と頭を抱えたとき、窓辺に一輪のファインが揺れていた。

花は何も語らない。
ただそこに咲いていて、丸い花弁を陽だまりのように広げているだけだ。
若者はふと、「花は誰のために咲いているわけでもなく、それでも見る者を元気づける」と気づいた。
そして、自分も「誰かに支えられている」ことを思い出した。

以来、彼は机の上に一輪のファインを欠かさず飾り続けた。
花は変わらず丸く咲き、ただそこにあるだけで、彼の努力を見守り続けている。

ファインの花言葉は「応援」。
それは、励ましの言葉だけを指すのではない。
そばにいるだけで支えになる――その沈黙のあたたかさこそが、一番深い応援なのだから。








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